2017年1月13日金曜日

◆徒然草の150段目

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能をつかんとする人、

「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよ

く習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」

と常にいふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。

いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、そしり笑はるゝにも恥ぢず、

つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、

みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜(たしな)まざるよりは、

終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名を得ることなり。

天下のものの上手といへども、はじめは不堪(ふかん)の聞こえもあり、

無下の瑕瑾(かきん)もありき。

けれども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埒(ほうらつ)せざれば、

世の博士にて万人の師となること、諸道かはるべからず。

◆訳
これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。

そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。

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