イ・ボミは2014年に父を病気で亡くしているが、その父が毎日、車で往復3時間かけてゴルフ練習場に連れていったという苦労話は今でも語られる。
申ジエは中学生のときに練習場まで送ってくれた母が、帰りに交通事故で亡くなった。早くに母を亡くした申ジエは家庭が貧しかったため、ゴルフを諦めようとした。
ところが少額の保険金のすべてを父が申ジエのゴルフ人生に注ぎ込んだ。彼女は一家を背負いアメリカに渡って2009年には米ツアー賞金女王にまで上り詰めた。すべて実話である。
キム・ハヌルもまた、貧しい家庭に育った。小学校5年生のとき、学校にゴルフ部ができて初めてクラブを握った。ただそれも運営上の問題でたったの2カ月で廃部。
キム・ハヌルに才能があることを見出した学校のコーチがゴルフを続けるように両親を説得したまでは良かったが、キム・ハヌルの家庭はゴルフを続けられる環境ではなかった。
父の事業が失敗したりして、練習もままならない時期がありました。12歳のときゴルフがしたくて「ゴルフで成功する自信があるから力になってほしい」と父に話したことを覚えていますと言っている。
父のキム・ジョンヒョン氏は「12歳の子のそんな言葉をどう信じればいいんですか。ただ、あまりにも確固たる決心で話してくるので、その夢を諦めろとは言えませんでした」と話す。
ジュニアの頃のキム・ハヌルは今の姿からは想像もつかないほど、苦労の連続だった。
練習場に向かう車があまりにもポンコツ過ぎて、父はあまりの恥ずかしさから駐車場の隅っこに隠れるようにして置いていたという話。
また、キム・ハヌルが中学時代、ある試合に出場したのだが、ボールを1個しか持っていないことがあった。「ボールを1ピース買いなさい」と話したが、キム・ハヌルは「買わなくて大丈夫」と言った。それを買うことで、父の財布の中身が空っぽになることを知っていたからだ。
結局、その試合では「ボールをなくした終わり」という覚悟で、18ホールすべてを回りきった。今でもボール1個をとても大事にするという。
この時期、キム・ハヌルは一家の希望となっていたのかもしれない。それを敏感に感じ取っていた少女は、手の平が豆だらけになりながらも、毎日球を打ち続けた。こうした幼少期の経験こそが、強さの源、原動力であることは疑いの余地もない。
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やっぱりどん底を味わった人間は強いんですね。ポンコツ車に乗って隅っこに停めるお父さん姿、財布の中身がなくなるにも関わらずボールを1ピース買いなさいといったお父さんの気持ちを想像しただけで泣けてきます。
成功者には苦労話がつきものだけれど、人間は苦労がなくて成長することは無いんですねきっと。苦労をした人間が幸せを掴んだときの笑顔は、絶対に作ってできる笑顔ではありません。だからスマイルキャンディとかスマイルクィーンと呼ばれるような素敵な笑顔でプレーできるのでしょう。
ki銀次郎
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