ゴルフクラブの進化を辿るとき、その源流から想いを巡らせてみよう。カーステン・ソルハイム。
言わずと知れたPINGの創設者だ。カーステンの提出したアイアンに関する特許書類をみると、とりわけ番手別のフローについて、その重要性が書かれている。
重心距離(40ミリ)を全番手で統一しつつ、各番手でオフセットやソール角、キャビティの形を変えることで正確な飛距離ギャップを生みだしている。
カーステンの登場以前とそれ以降では、ゴルフクラブのカタチは様変わりしている。ウィルソンの「デザインド・バイ・パーマー」(L字)やアクシネットの「ブルズ・アイ」(T字)が主流だったパターは、彼の登場以降、「アンサー」型に大きく変わった。アイアンも然りである。
ウィルソン、スポルディング、マグレガーが“御三家”といわれていた時代。アイアンクラブはいわゆる“ブレードアイアン”が花盛りだった。フラットバック、ストレート・マッスル、カーブドマッスル。
バックフェースの肉盛りにこそ個性が見えるが、その基本は1940年代のものも70年代のものも、もっといえば現代のものでさえも、その有り様、カタチに大きな変化は見られない。
しかし、60年代、カーステンの生みだしたアイアンはやはり、それらとは大きく違っていた。
◆真ん中を軽くし、周辺を重たくする基本思想。
異様な風貌の“ヒール・トゥ・バランス”パターで、ゴルフ業界に進出してきたカーステン。彼がつくるアイアンも
また、異彩を放っていた。
1960年に作られた最初のPINGアイアン(試作品)は、バックフェース中央に2本の凹みが配されていた。中央をくり抜き、軽くし、重さをヘッドの外周に集中させていくというパターで行なった“ヒール・トゥ・バランス(周辺重量配分)”を、アイアンにも踏襲させたのである。
1982年に発売された「アイ2」は、10年間、細かなランニングチェンジを加えながら販売され、累計100万セット以上を販売した。
1970年代初めにカーステンが提出した特許書類の図面。オフセット(グース)、ソール形状(バウンス)、番手別フロー、そしてキャビティ部の配置と形状。そのすべてに緻密な意味がある。
(><)
私も最初に使ったアイアンは“PING EYE 2”でした。そのころは何を使ってもまともに球を打てる力量がなかったので、改め今、“PING EYE 2”を打ってみたいなぁ~と思います。
ki銀次郎
0 件のコメント:
コメントを投稿