2016年11月1日火曜日

日本ハム、広島を破った最強チームの育成術

2016年のプロ野球は、日本シリーズの舞台で、日本ハムが広島を42敗で下して幕を下ろした。雌雄が決した直後、もっとも印象深かったのは、広島・松田元オーナーがつぶやいた一言だった。
 「あれぐらい強いチームを作らな、日本一になれんということよ…」
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■栗山監督が人心掌握を学んだ名将
それほど「強い」日本ハムを率いる栗山英樹監督が心酔するのが、かつての名将・三原脩氏(198426日没)である。巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトで監督を歴任し、日本ハムの初代球団社長に就いた人物だ。

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度のリーグ優勝、4度の日本一。1958年、巨人との日本シリーズで3連敗から4連勝の大逆転、1960年には前年最下位の大洋を日本一に導くなど、"三原マジック"は、今でも野球ファンの語り草になっている。

西鉄で「怪童」の異名をとった大打者、後に監督にも就いた中西太氏にとって、三原氏は義父にあたる。栗山監督は三原氏と交わったことはないが、評論家時代から中西氏のもとに通って、三原氏が秘訣を書き記していた伝説の
"三原メモ"を借りては野球を学び続ける。
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中西氏は「栗山監督の人心掌握術は、三原流の手ほどきを感じさせる」と明かす。「親父は『花は咲きどき、咲かせどき』といった。栗山監督は三原の考えだった『欠点をみる前に長所を生かす』という信念を曲げず、人材を育て上げ、その若手選手が今回の日本シリーズで働いた」。

例えば、22敗で迎えた第5戦の先発はルーキー左腕の加藤貴之だったが、1回に先取点を奪われ、続く2回に満塁のピンチを招くと、すぐにメンドーサへのスイッチを決断した。

メンドーサが得点を与えず、そのまま好投を続けたことが勝機を呼び込み、最後は9回裏に2番西川遥輝がサヨナラ満塁本塁打を放って王手をかけるのだった。

中西氏は「先発に抜てきした左の加藤を、すぐさまメンドーサを投入して流れを変える戦法は、まさに三原マジックだったな」と振り返った。


■日本一の背景にあるものとは…
そもそも栗山監督の最高傑作である大谷翔平の二刀流も、かつては三原氏が用いた選手起用だった。近鉄を率いて永淵洋三を投手兼打者、71年ヤクルトでは外山義明を「1番投手」で出場させている。

1戦に先発した大谷は、広島の機動力に巻き込まれて敗戦投手になったが、札幌ドームに戻って「3DH」に入った第3戦の延長10回にサヨナラ打を放って、シリーズの潮目を変えた。

ただ、この日本一の背景にあるのは、「フロント主導」で進められるチーム作り。そこに、強さの秘密が隠されている。

その年の監督にチーム編成の全権を与えて、その都度チームの方向性が変わる球団もある。が、日本ハムではあり得ない。

■中長期を見据えた「日ハム流」人材育成
現場の監督にチームの戦力分析、補強を任せるのは危険性をはらむ。監督は自らが目先の勝利にこだわるあまり、中長期的なビジョンを描けないからだ。

例えば、外国人獲得にしても、代理人を通してスカウティング、交渉をするチームがほとんどだが、日本ハムは代理人に依存せずに独自で調査、発掘を続ける。

日本シリーズで3勝をあげたバースはメジャーとマイナーを往き来していた"お宝"だった。MVPに輝いたレアードは、マイナーの3Aで埋もれていた人材を何年も追い掛けた。そうかと思えば、メンドーサはメジャーのロイヤルズでローテーション入りしていた実力派だった。

千葉・鎌ヶ谷に本拠を置くファーム組織の位置付けでも「ベテランの調整の場ではない、若手育成の場」と確固たる方針を貫く。

特に、高卒選手については、投打に数人の「強化指定選手」をリストアップする。そして、年間打席数、登板数、イニング数を設定し、徹底的にそれを消化させる。

その"虎の穴"から若い芽をだしたのが、このシリーズで貢献した24歳の西川(智弁和歌山)25歳の中島卓也(福岡工)らで、陽岱鋼(福岡第一)も強化指定枠から主力に育っていった一人だ。

ドラフト補強でも「その年のナンバー1を指名する」という方針は変わらない。大リーグ行きを翻意させて大谷を必死に口説き、プロ入り後は二刀流を貫かせた。大きな結果を出したことで、もはや批判の外圧は消え失せた。

決して、ぶれない。「フロント」「現場」が一体となって大輪の花を咲かせたドラマは、ここから連覇に向けて続編に突入する。

寺尾 博和(東洋経済オンライン)

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