自分なりに精神的な制約を取り除く方法を考え出す。
それが練習の真の目的であり、上達するひとつの方法だと思います。
練習場ではそういう訓練をする。
訓練していけば必ずその方法は見つかります。
ムダ球を打たない効果的な練習方法とは・・・・・
中部流の奥義、ここに完結。
~父の願い、息子の望み~
「プロになりたい!」
若い銀次郎が自分の願いを父に訴えたことがあった。
『ゴルフは趣味として教えたものだ。職業にするなら今後一切のサポートはしない』父・利三郎は首を横に振った。
生意気盛りの銀次郎は
「アマでは賞金が貰えません。プロと戦って貰えなかった賞金分の小遣いをくれませんか!」
利三郎は銀次郎を鋭く睨み据え一喝した。
『銀ッ、ゴルフ自体をやめてしまえッ』
そもそも体の弱い息子のためを思い、散歩でもさせるつもりでゴルフ場へ連れ出した父であった。それで功を奏し銀次郎はみるみる健康になった。
体が強くなるのと比例するかのように、銀次郎はゴルフの魅力の虜になる。18歳で日本アマに初出場、20歳で初優勝する。さらに関西オープンでも何度もベストアマに輝き、25歳の時、西日本オープンでは並居るプロと戦い優勝をかっさらってしまう。
それらの戦績を父は喜ばないはずがなかった。だが、それはあくまでもアマチュアゴルファーとしての活躍に拍手を送っていたのであり、ゴルフしか知らない偏った人間になってもらいたくなかった。
社会的常識をわきまえ紳士としての嗜みを身につけ、どこに出しても恥ずかしくない中部家の男になってほしい、そう利三郎は願った。やがてその心意を理解した銀次郎は、ますますゴルフに打ち込んだ。
単に成績を上げるばかりでなく、立ち居振る舞いもよしとされるゴルファーを目指した。父の笑顔を見るために。
28歳の時に父が他界する。
銀次郎はまるで喪に服するように一切の競技から身を引いた。
復帰するまで3年間の空白の時間があった。それを勿体ないことをしたと銀次郎は考えなかった。父と息子の心が重なりあった中部銀次郎のゴルフ人生だった。
中部銀次郎
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