2014年9月26日金曜日

中部銀次郎「ゴルフの神髄」新編

もっと深く、
もっと楽しく


「技術を磨くことより心の内奥に深く問い続けることが大切」

「自分の力を、甘くなく辛くなく正確に把握する。そこからすべては始まる」




“バーディはまぐれである”

「賭けに出るよりも、ゴルフに対する自分の姿勢を崩さないことが大事だ」



ゴルフというゲームの摩訶不思議なところは、人間の性格をがらっと変えてしまう(ように見える)ところである。



普段は沈着冷静で、よろず石橋を叩いてから渡るような人物が、ゴルフ場に出ると突然、勇猛果敢といえば聞こえはいいけれども、
一か八かのギャンブルショットばかり好んでしたりする。



それとは逆に、日常生活では豪放にして大胆、すべてを即決する人が、いざボールに向かうといつまでももじもじとアドレスが定まらなかったりもする。おもしろいものだ。



ゴルフにおいて見られる人間の変貌のうちで、わたしがいつも興味深く感じていることは、多少なりとも誰もが必ず、傲慢になる点である。



どれほど謙虚で控えめな人でも、ゴルフをやっているとき―というよりゴルフに関しては、人が変わったように、自分自身に対する評価が甘くなるのだ。



もちろん本人は、それとはっきり意識してはいないかもしれない。
この人がこんなことをいうとは信じがたい―という類のことを平然と口にするのだから、びっくりさせられる。



たとえば、ゴルフ場でこういう発言をよく耳にする。
「今日は、バーディが1個もとれなかったよ」
傲慢である―と、わたしは思う。



この人がプラスハンディキャップの持ち主なら別だが、そうでなければ、バーディなどとれなくて当たり前ではないだろうか?



ハンディキャップ1のゴルファーは、平均的にラウンドでひとつのボギーを打つから、1なのである。



パーがとれない人が、バーディを狙ってとれることはない。



そうはいっても、現実にどんなハンディキャップのゴルファーの場合であれ、バーディは出るものだ。
ただし、狙った結果、計算通りにバーディがとれたと思うのは、思い上がりであろう。



バーディが狙ってとれるなら、パーをとるのはもっと容易なはずだからである。



そういうわけで、バーディは「とった」のではなく、出てしまったといったほうが正しい。
ようするに、まぐれなのだ。



一日のラウンドを終えた後、ともすれば、ゴルファー諸氏はラッキーに恵まれてセーブできたストロークを忘れて、
アンラッキーで失った何打かばかりを数えたてている。



しかも、よく聞いてみると、ストロークを失うはめになったのが特にアンラッキーというわけではなく、単に未熟であるにすぎないことが多い。



4~5メートルのパットが三回も入ったことは棚にあげ、ざっくりやったアプローチのライが悪かったこととか、
不注意にも数十センチのパットを外したことばかり口にして、いったいどうなるというのだろう?



誤解してほしくないのだが、こういういい方をしているからといって、私はゴルフが上手ではない人をばかにしているのでもなければ、軽んじているわけでもない。



われわれアマチュアゴルファーにとって、ゴルフは所詮、余暇のレクリエーションである。
だからゴルフが巧いからといって偉いことはないし、まして人間の質が磨かれているということでもない。



ただわたしは、まずたいていのゴルファーが少しでもいいスコアでラウンドしたいと願っていると思うので、どうしたらスコアが縮められるかを、自分の経験から抽出してお話ししているのである。



そして、スコアを最も易しく縮められる方法は、ゴルフに対する考え方を変えるところにあると、説明しているつもりなのだ。
中部銀次郎

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