ゆめ、ご油断召さるな。
芝の上のあなたは、裸なのですぞ!
ゴルフは単なるフィルターの役目、
“本質は末端に現れる”のたとえ通り
ゲームの途中に垣間見せる言動こそ人柄そのもの
赤裸々な姿ではないだろうか。
“ああ、愛しき芝よ!”
グリーンキーパー池端通人
ゴルフもコースが最初、次に人間、最後に道具が登場する。
ところがゴルファーの関心の多くはスコアに向けられ、
昨今では母なるコースの素顔に無関心な「スコア至上主義者」がはびこる時代となった。
これは世に充満する環境問題と比例して由々しき事態である。
Q、例えば芝の生命力が弱まる晩秋、ボールを打ってディボット跡ができますね。コース側では砂を入れますが、実際には穴があいたまま。これが元通りになるのはいつごろですか?
「早くとも翌年の4月下旬、あるいは5月上旬です」
Q、すると半年以上、傷が残った状態ですね?
「間違いなく残ります」
静岡県袋井市にある葛城ゴルフ倶楽部のグリーンキーパー、
池端通人さんは、ベテランひしめくこの世界にあって珍しくも
46歳の若さ、植物の専門家である。
46歳の若さ、植物の専門家である。
東京農大農学部で熱帯作物学を学び、海外農業実習ではアフリカと中近東に1年も滞在した。
卒業後、ヤマハに就職。1979年に葛城配属となって20年が経過した。
Q、ゴルファーの平均的飛距離に大差ないはず。当然ある一帯にディボット跡が集中します。ひどい状態の場合、そこだけ張り替えることもありますか?
「ディボット跡も含めて、芝の状態が悪いと張り替えます」
Q、つまり芝はショットのために用意されたもの。ところが心ないゴルファーの中には何度も素振りを繰り返し、そのたびに平気で芝を削る人がいます。本番では遠慮の必要もないでしょうが、素振りによる虐待行為を目撃したとき、グリーンキーパーとしてはどのように感じますか?
「ザクッ、ザクッと芝が無神経にいじめられるたびに、自分の体のどこかが刃物で刺されるような気がします」
Q、まず最初の仕事は?
「グリーン上のカップ切りから始めます。前日から天気予報に注目、雨が降ると思えば高い位置、入場者が多ければ平坦な位置にカップを切ります」
Q、毎日、カップの位置を変えるのですか?
「はい、2日も同じ場所を使った場合、たちまち周辺の芝が痛みます。また、グローブをはめた手でボールを拾い上げる人もいますが、ボタンや面ファスナーがカップのふちに当たって、予想以上にめくれてしまうものです。バンカーも低い場所から入らず、打ったあとも知らん顔の人が増えてきました。毎日マナー違反との戦いです」
「チェーンソーによる枝払いも含めて、大きな物音が伴う作業は早朝と休業日に集中して行います。お客様の満足が私たち管理者のよろこび」
思えば私たちは、知らないところで完璧なサービスを受けているのだ。
とくに技量の未熟な者に限ってコースに文句をつけたがるが、本来ゴルフは原野に穴を穿(うが)ち、大自然が刻んだ起伏と戯(たわむ)れるのがゲーム発祥の精神ではないか。
絨毯(じゅうたん)顔負けのライでしか
ボールを打てないゴルファーなんて、
情けないなくて話にならない。
ボールを打てないゴルファーなんて、
情けないなくて話にならない。
「私たちの仕事は、芝の生命力が頼りです。人間はただ手助けするだけ。あくまでも主役は植物です。もの言わぬ彼らの言葉に耳を傾けながら、水を与え雑草を取り除いて成長するための最良の環境を作ること、これが管理者の仕事です」
池端さんは、歩きながら温度計を取り出して地面に差し込み、地表温度と地中温度、さらには湿度のデータ収集に忙しい。
芝は稲科に属するため、特有病感染の危険も絶えない。
文字通り365日一刻として気が休まらず、酒を飲んでいても頭のあるのは芝のことばかり。
Q、ここまで愛した芝が、ピッチマーク跡も直さない、スパイクのひっかき傷をつけても平気なゴルファーによって傷められたとき、腹の底から怒りがこみ上げませんか?
「とても悲しい気分です。結局ピッチマーク跡を放置すると、めぐりめぐって自分に降りかかる問題になります。バンカーにしても、自分がきれいに均しておけば、すべてのバンカーから足跡が消える道理です。このゲームは多くの説教を与えてくれますが、それでいてゴルフは寡黙ですね」
Q、20年の歳月、コースの中で暮らしてきて、自分が一番変わったと思われる点は?
「自然に対する畏敬の念が深まったのは当然として、毎日接する空、雲、風、草木から、人知の及ばざる大きな世界があることを教えられました。偉大な設計家(井上誠一)描いた名画の中で働く私たちは、本当に幸せだと実感します。
※井上誠一(コース設計家)
葛城ゴルフ倶楽部は、大洗、霞が関をはじめ、生涯に40コースを設計した名匠井上誠一氏の晩年の傑作とされる。
マザコンだった井上氏は、たとえばバンカーの形にしても子供の肩にそっと置いた母親のやさしい手がイメージされた。
あるいはグリーンの起伏も観音菩薩の手のひらが原点、名状し難いやさしさに満ちている。
初期の設計では一点に打って勝負しろとゴルファーを挑発するが、やがて「火宅の人」となって官能の嵐に巻き込まれると、直後に生み出されたコースの線も女体がモチーフに変わる。マウンドや稜線が乳房を思わせ、仰臥した女体が連想される。
(><)
全文を紹介できないのが残念でなりません。
私はこの本を読んでから芝生への感謝の気持ちが増幅しました。
「絨毯(じゅうたん)顔負けのライでしかボールを打てないゴルファーなんて、情けないなくて話にならない」
私はこの文章にドキッとさせられ、情けないゴルファーになりたくない、最低限の目土とピッチマークの修復を自分自身にかたく約束しました。
ki銀次郎
0 件のコメント:
コメントを投稿