自分なりに精神的な制約を取り除く方法を考え出す。
それが練習の真の目的であり、上達するひとつの方法だと思います。
練習場ではそういう訓練をする。
訓練していけば必ずその方法は見つかります。
ムダ球を打たない効果的な練習方法とは・・・・・
中部流の奥義、ここに完結。
~池~
中部銀次郎ほどの手練れにとっても、池というものは厄介な存在だった。
ただしアベレージゴルファーのように池ポチャに恐怖し、ショットをミスする類のものではない。では銀次郎にとって何が問題だったのだろうか・・・?
それは水面だという・・・・・水面がまっ平らなために距離が掴みにくいのです。
銀次郎はピンまでの距離を掴むときにキャディやヤーデージ杭に頼らなかった。ほぼ見た目でスッと判断してしまう。それがまた精密機械の如く正確だった。
ただし“池”が介在するときに限って見た目の計測に危険性が生じることを銀次郎は知っていた。
地続きならばフェアウェイの起伏などを頼りに距離を目測することができる。だが目の前に拡がる平らな水面には目安にすべき目標物がない。
「そのせいか向こう岸までの距離が実際より“近く”見えてしまうんです」
そのためクラブ選択が微妙に違ってきたり、スウィングにデリケートな影響を受けたりする。
だから池を前にしたとき銀次郎は見た目のトリックに騙されないよう慎重に距離を測りなおした。
くり返す。
銀次郎にとってもやはり池は厄介な存在といえた。
ただし池ポチャが心配で、体や心が縮こまったわけではない。
銀次郎には、池は、ただひたすら距離感だけの問題だったのである。
中部銀次郎
(><)
平らな水面が距離感を惑わすということを、この本を読んでしりました。
我々アマチュアにとって池は距離感以上にプレッシャーのかかるものであることは間違いありません。
ki銀次郎
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