2014年8月5日火曜日

ピーター・テラベイネンと下間艶子(1996年 日本オープン 茨木CC)

ゴルフを以って人を観ん
緑にお遍路さんたち
ゆめ、ご油断召されるな。
芝の上のあなたは、裸なのですぞ!

(夏坂健)




ある日、見知らぬ女性から私のところに一通の手紙が届いた。
彼女は1996年の日本オープン開催コース、大阪・茨木CCのキャディ、下間艶子さんだった。



大会の数ヶ月前、コースのキャディ委員会から招かれた私(夏坂健)は、従業員に対して日本オープンの歴史、ゲームの取り組み方、キャディの法的立場などについて講演申し上げた。



そのとき「本物のゴルファー」の条件についても率直に話した記憶がある。
下間さんからいただいた手紙の内容は興味深いものだった。



「日本オープンが始まる直前、どの選手に帯同するか抽選がありました。私は名前もしらない外国人選手と組むことになったのです。
ときどき外国に住む私の娘を訪ねて旅をするため、英会話は少しだけ。正直、困ったと思いました」



練習ラウンドの朝、厳しい顔の地味なプロが現れて、
自分はピーター・テラベイネンだと名乗った。



クラブとボールは言うに及ばず、小物までスポンサーまみれのプロにあって、彼はすべて自費でまかない、サンバイザーもコースの売店で買い求めた。
そうした姿に下間さんは深く感動する。



2日間の練習ラウンド中、片言の会話によっていくつかの事情が判明した。



まず彼は東南アジアの女性と結婚してシンガポールに住み、アメリカ、ヨーロッパはもとよりアフリカツアーにも遠征する一匹オオカミであり、スポンサーに依存せず、賞金だけで生活するプロだということもわかった。



大会前、夏坂健さんの講演の中で
「本物のゴルファーとは自分に厳格、他人にやさしく、失敗にもめげず、自然に対してロマンチスト。とりわけ肝心なのが同じミスを繰り返さないことだと、このように言われましたね。



テラベイネン選手は、まさにお話し通りの本物のゴルファーでした。私やコース管理の人にまで目配りがやさしく、それでいてゲームでは同じミスを繰り返さず、勇敢にピンを攻め続けていました」



テラベイネン選手は終盤ピンチの連続。
ようやく優勝したとき、あまりのことに下間さんは頭の中が真っ白、体の震えが止まらなかった。



「あの日、夏坂健さんの講演を聞いて本当によかったと、心から感謝申し上げます。特にキャディはプレーヤーと一心同体、同等の人権を有すると伺ってから、自分の仕事に誇りが持てるようになりました」



私(夏坂健)にとって素晴らしい手紙だった。
すぐに返事を書き、またお手紙をいただき、熟年ペンフレンドの関係が始まった。



・・・茨木CCから聞いた話によると、ピーター・テラベイネンの優勝には後日談があった。



通常の場合は、優勝したプロは専属キャディに賞金の5パーセント前後を進呈するが、クラブキャディには寸志が手渡される。



あの日、ピーター・テラベイネン選手は優勝を予測していなかったのか、現金の持ち合わせが乏しかった。
米ドル、シンガポールドル、なぜかイギリスのポンド、そして若干の日本円が丸めた紙くずのように下間さんの前に出された。



「現金の持ち合わせがなくてすみません。どうぞ銀行口座を教えてください。あとから振り込みます」と言った。



このシーン、偶然テレビがとらえて私も目撃した。
まさか、あのキャディが下間さんとは夢にも思わなかった。
翌日になって、キャディマスターのところに世界各地のお金を持って現れた下間さんは伏し目がちに言った。



「日本オープンの開催はクラブ全体の努力でやったこと。このお金は私一人の物ではありません。みなさんで使ってください」



理事の一人から話しを聞いた瞬間、私は胸が熱くなった。
ゴルフの世界には美しい話しがたくさんあって、ときには取材中に涙を流すこともある。



下間さんはキャディの歴史の中に清々しい花を一輪、咲かせてくれた。
夏坂健



「私はコースを歩けるだけで幸せです。ときにはお客様のゲームに感情移入するのか、1打ごとにまるで自分がプレーしているように錯覚することもあります」



ゴルフが好きですね?



「はい、私は貧しい家に生まれましたが、両親の愛情だけは世界で一番豊でした。そのおかげでどんなことにも感謝の気持ちが持てるようになりました。小さな幸せでも十分なのに、素晴らしいゴルフと巡り合えて本当に幸せです」
下間艶子

(><)
ゴルフは自分の性格が赤裸々に露呈されるゲームです。
それも最悪の形でしか表れない。
関東地方のキャディ370人から集計した、キャディが最も嫌う客のデータがある。



1位、古参会員に多く見られる、やたら態度がでかい
     「威張り屋」
2位、なんでもキャディのせいにする「責任転嫁屋」
3位、ゴルフが礼節を規則の第一条に据えた紳士淑女のゲームだとも知らず、平気でコースを汚す
     「マナー知らず屋」
4位、スコアとボールのライを誤魔化す「チョンボ屋」
5位、約6世紀の伝統あるゲームとも知らず、ゴルフを単に賭けの対象としか考えない「ニギリ屋」



あたりを見回したところ、いるいる、思い当たる人物がたくさんい
る。
電動カートの導入によってキャディの労働条件は過酷になった。
たとえば4人の打球を1人で見届けるなど至難の業だが、客はそうは思わない。



「ちゃんと見てろ!それでもキャディか!」
ゴルフでは、プレーに関する一切の責任は本人が負う。
これぞ約600年間も守られてきた掟である。



ゴルフの精神を学ばずに打つことばかりの下品な客が増えてきた。



「つまり、ゴルフは人柄そのもの。日常生活でマナーの悪い人物がコースに来たときだけ立派に立ち居振る舞うなど話に無理がある。
結局、自分の器でしかプレーできないところ、ゴルフは恐ろしいゲームですね」



「キャディさん、このラインどっちに曲がるの?」
1メートルも真っ直ぐに打てない人間が尋ねる。
「苦労しながら400ヤード進んできて、自分が予想して一番楽しむ場面を他人に聞くなんて、ゴルフの楽しみを自分から捨てているようなもの」と中部銀次郎さんは言う。



「キャディさん、残りの距離は何ヤード?」
グリーンの近くで尋ねるアプローチが下手くそなアホもいる。



そもそもキャディの発祥からして数奇な物語に満ちているというのに、当節のにわかゴルファーには学ぶ姿勢もない。



1561年、フランスから母国スコットランドに戻ったメアリー女王は、貴族の二男中心に編成された近衛小隊を連れ帰る。
彼らは「CADET」(カデ)と呼ばれた。



ゴルフ好きだった女王はコースに出る際、
「カデ、ゴルフに行くわよ、クラブを持ちなさい」



これを耳にしたのが、すべて愛称化せずにはいられないスコットランド人、
たちまち「キャディ」も名称が定着した。



1771年にはキャディ賛歌の詩も登場する。
1775年、セントアンドリュースでは理事会を招集して、
キャディの身分にルール上の地位を与える決議を採択した。



すなわち「キャディはゴルファーの唯一の味方であり、助言と援助を惜しまない。従ってプレーヤーと一心同体、同等の権利を有する」
これが世に名高い「キャディ憲章」である。



欧米のプロは優勝コメントの中でキャディの功績をたたえ
「われわれの勝利」と発言する。



わが国では残念ながらくキャディに対するいたわりの言葉など聞いたことがない。
ましてや歴史を考察したとき、間違っても
「ねえちゃん、5番持ってこい」
とは言えないはずである。


もっと詳しく読みたい方は


(><)
少なくともこれくらいの知識と優しさと感謝の気持ちをもってゴルフをしたいと思いました。
ki銀次郎

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