ゴルフは絶望のくり返しであるとは、
プレーヤーなら誰もがしっている。
それでも私たちは、
次の日曜日にはバッグを担いで
近くの練習場に出かけていくのである。
“最後のゴルフ”
死を予感している先輩の、最後のゴルフを後輩二人と一緒にプレーをするという話。
先輩は本当のゴルフを教えてくれた人。
先輩が言っていたこと、
『イギリス人のゴルフよりもスコティッシュ(スコットランド人)のゴルフの方が遥かに上質だ。彼等は天候の条件が厳しいほどゴルフを愉しむ。真のゴルフの素晴らしさは、リンクスコースとあの天候にある』
と常々言っていた。
67歳の先輩は、雨が降ろうが風が吹こうが、
ゴルフの約束をした日は必ずゴルフ場へ来て準備をしていた。
ときどき
「遊びなんだから、もう少し気楽でいいんじゃないの」
と思う時がないでもない。
そんな先輩にしか教えてもらえないことがある。
行かざるを得ない接待ゴルフやひどいマナーのゴルファーと1日を過ごした後で、先輩とラウンドすると、それまで見えなかったものが先輩のゴルフから見えてくることがあった。
バンカー内の友人に、
「ガンバレよ!」
と声をかけると先輩ははっきりと言った。
『黙って見ておくものだ』
『ゴルフは大半がミスショットをする遊びだ。ベストショットをしようとしてもほとんどがミスをする。そう考えるとゴルフはミスをしている時、それで苦闘したり、憤怒している時がもっともゴルフらしいと言える。つまりバンカーの中で砂だらけになり、タメ息をつき、また落胆しているあの姿こそがゴルフの真髄に触れている時間じゃないのかね。たしかに苦しんではいるが、それが幸福の時間の中にいるとも言える。だから黙って見ておく方がいいと私は思う』
先輩は派手なゴルフウェアを嫌った。
同伴者が派手なゴルフウェアを着てくると、
『少し離れて歩いてくれるか。せっかくの新緑が楽しめん』
と言ったそうです。
先輩は人一倍お洒落で、ホテルのパーティでのスーツ姿はそれは
見事なものだった。
先輩は足元が好きだった。
グリーンに立つ先輩の足元の美しさにいつも感心した。
ゴルフシューズはいつも綺麗に磨いてあった。
バンカーショットの得意な先輩でした。
自分で決めた人生最後のゴルフで先輩はバンカーに入れてしまいました。
ドスン、と音がしたがボールはグリーンに上がってこなかった。
ドスン、ドスン、また砂を打つ音がした。
しかしボールはあらわれない。
20年間、先輩のゴルフを見てきて、こんなことは一度もなかった。
先輩は肩で息をしていた。
――やはり体調がすぐれないのだ・・・・・
ドスン、結果はまた同じだった。
壁のような急斜面(アリソンバンカー)をボールは転がって先輩の足元に戻ってきた。
先輩はグリーンと逆方向にスタンスの向きを変え、ボールをいったんフェアウェイに出して、グリーンにボールを乗せた。
グリーンに上がってきた先輩の顔は笑顔に見えた。
背中に不思議と寂寥感のようなものはなかった。
むしろ何かを成し遂げたような、誇らしげにさえ感じるものが伝わってきた。
先輩は最後のパットをカップインさせた。
先輩はいつものように帽子を取り、ありがとう、と言った。
先輩は18番のフェアウェイに目をやった。
かすかに口元が動いた。
先輩の訃報が届いたのは、1ヶ月後だった。
伊集院静
(><)
これは小説なので実話ではありません。
40年以上ゴルフをし、世界中のゴルフ場でプレーをして、世界中のゴルフ書籍を読んでいる伊集院さんが書いているということです。
これを読んで更にゴルフの奥深さを味わいました。
本でしか知ることができないゴルフの奥深さです。
ゴルフをしていて、こんなことを教えてくれる先輩がいることがとてもうらやましく思いました。
まだ味わっていないゴルフの味を味わうには、ゴルフの本質を知るしかないと思います。
ゴルフの本質を知った上で味わう感動は文字や言葉では表せません。
私はそれを味わいたい・・・・・
ki銀次郎
0 件のコメント:
コメントを投稿