以前から気になっていた本が会社にあった。
川上哲治さんの息子さんが書いた「父の背番号は16だった」
昨日、テレビで日本シリーズ中継を見ていて川上さんの訃報を知った。
今朝、この本を開いてみることにしました。
川上さんが熊本工業高校の出身だということはご存知だとおもいます。
川上さんは熊本県人吉市で3代続く船宿、船で木材、お茶、木炭などを
八代まで運ぶ運搬業を営む家庭に生まれたそうです。
V9の川上監督から長嶋新監督へバトンタッチされた年、川上さんは全国の
読売新聞の販売店を拠点に、一年間で130ヶ所で開かれる少年野球の指導をしていたそうです。
それは川上監督を現場から遠ざけるための正力オーナーが仕組んだ工作だったそうです。
長嶋監督一年目の新鋭ジャイアンツは期待とは裏腹に最下位に転落。
川上さんは全国をまわっていて、口々にこう言われたそうです。
「長嶋さんがかわいそうじゃないですか、球場へいってアドバイスしてあげてくださいよ」
そう言われることが一番辛かったそうです。
長嶋さんから川上さんへの電話
「おやじさん、ごぶさたしています。もうご覧の通りでまいっているんですよ。どうしたらいいんですかこんなとき」
長嶋の声をきいた川上さんは、それが自分がずっと待っていた電話だったような気がして胸がいっぱいになった。
川上さんは監督を辞めてから、この日まで電話一本かけてこない長嶋に腹を立てたこともあった。
しかし正力の言うことをきいて、振り回されている長嶋の姿が目に浮かんだという。
「今年からはもうお前が監督なんだ。あれこれ周囲の声にまどわされちゃいかん。自分がこれがベストだと思うことをそのとおりやるだけだよ。最後まであきらめないで頑張れよ」
とアドバイスしたそうです。
父は少年野球を指導するときはいつも「背番号16」のユニフォームを着ていた。
父はユニフォームの袖に腕を通しながら、もう巨人軍を辞めようとあらためて思った。
と書かれていました。
川上哲治さんのご冥福をお祈りいたします。
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