緑にお遍路さんたち
ゆめ、ご油断召されるな。
芝の上のあなたは、裸なのですぞ!
(夏坂健)
“嫌われる客「ワースト5」”
(大阪・茨木カントリークラブ・キャディ 下間艶子)
茨木CCは日本オープンが開催されるゴルフ場だ。
その日本オープンで名もないピーター・テラバイネンという選手に帯同することになった。
クラブやボールは言うに及ばず、小物までスポンサーまみれのプロにあって、彼はすべて自費でまかないサンバイザーもコースの売店で買い求めたほどの地味な選手だったことに下間さんは深く感動する。
夏坂健さんは大会前にキャディ委員会から招かれ、キャディのみなさんに講演会を開き次のように述べました。
本物のゴルファーとは
『自分に厳格、他人にやさしく、失敗にもめげず、自然に対してロマンチスト。とりわけ肝心なのが同じミスを繰り返さない』
ゴルファーをこのように表現した。
テラベイネン選手はまさにお話通りのゴルファーでした。
私やコース管理の人にまで目配りがやさしく、それでいてゲームでは同じミスをくりかえさず、勇敢にピンを攻め続けました。
終盤はピンチの連続。ようやく優勝したとき、あまりのことに下間さんは頭が真っ白、体の震えが止まらなかった。
「あの日、講演を聞いて本当によかったと、心から感謝申し上げます。特にキャディはプレーヤーと一心同体、同等の人権を有すると伺ってから、自分の仕事に誇りを持てるようになりました」
夏坂さんのもとへこのような手紙がきたそうです。
夏坂さんは下間さんに会いにいき、1ラウンドを帯同してもらったそうです。
嫌われる客の「ワースト5」はと聞くと、
第1位 古参会員に多く見られる、やたらに態度がでかい「威張り屋」
第2位 なんでもキャディのせいにする「責任転嫁屋」
第3位 平気でコースを汚す「マナー知らず屋」
第4位 スコアとボールのライをごまかす「チョンボ屋」
第5位 約6世紀の伝統あるゲームとも知らず、ゴルフを単に賭けの対象としか考えない「ニギリ屋」
あたりを見回したところ、いるいる、思い当たる人物がたくさんいる。
反対に、いい客について教えてください。
「平凡ですが、マナーが良くて人に優しく、それでいて自分のゲームに真剣な方です。さりげない人ほどすてきですね」
『つまり、ゴルフは人柄そのもの。日常生活でマナーの悪い人物が、コースに来たときだけ立派に振る舞うなど話に無理があります。
結局自分の器でしかプレーができないところ、ゴルフは恐ろしいゲームですね』
「キャディさん、このラインどっちにまがるの?」
1メートルも真っ直ぐに打てない人間が尋ねる」
「キャディさん、残りの距離は何ヤード」
グリーンの近くで尋ねるアホがいる。
バブルの時代、歴史と伝統に無関心なカネまみれのゴルファーが一挙に押し寄せ、偉大なるゲームを台無しにした感がある。
たとえばキャディの問題一つとってみても、多くの人は自分が雇った一日だけの「クラブ運搬人」だと誤解する。
「おーいねえちゃん、5番もってこい!」
これほど情けない話もない。
そもそもキャディの発祥からして数奇な物語にみちているというのに、当節のにわかゴルファーは学ぶ姿勢もない。
1561年、フランスから母国スコットランドに戻ったメアリー女王は、貴族の二男中心に編成された近衛(このえ)小隊を連れ帰る。
かれらは「CADET カデ」と呼ばれた。
ゴルフ好きだった女王はコースに出る際、
「カデ、ゴルフに行くわよ。クラブを持ちなさい」
これを耳にしたのが、すべて愛称化せずにはいられないスコットランド人、たちまち「キャディ」の名称が定着した。
1775年、セントアンドリュースでは理事会を招集してキャディの身分にルール上の地位を与える決議を採択した。
「キャディはゴルファーの唯一の味方であり、助言と援助を惜しまない。従ってプレーヤーと一心同体、同等の権利を有する」
これがこの世に名高い「キャディ憲章」である。
こうして歴史を考察したとき
「ねえちゃん、5番もってこい」
とは言えないはずである。
こうした話しにも、下間さんは深くうなずきながら微笑するだけだった。
「私はコースを歩けるだけで幸せです。ときにはお客様のゲームに感情移入するのか、1打ごとにまるで自分がプレーしているように錯覚することもあります」
『ゴルフが好きですね』
「はい。私は貧しい家に生まれましたが、両親の愛情だけは世界で一番豊かでした。そのおかげで、どんなことにも感謝の気持ちが持てるようになりました。小さな幸せでも十分なのに、素晴しいゴルフと巡り合えて本当に幸せです」
(大阪・茨木カントリークラブ・キャディ 下間艶子)
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