ブログのテーマを『コーチの神髄』と掲げているので、家庭の話を載せるのは本意ではありませんが、今日だけ書かせてください。
4月3日(金曜日)息子がN大学に入学しました。
息子は小学3年生のときに野球をやりたいといってきたので、地元の少年野球部に入部させました。
私も一緒に入部し、1年後から監督を務めました。
一緒に教えるコーチと相談しながら、少年を指導する上でのメンタル、体の構造、すべてを朝から晩まで勉強しました。
基本は“走ること”に徹しました。
息子は保土ヶ谷区内の6ヵ所のすべての大会球場でホームラン打つまでに成長し、最終学年では、選抜チームの4番を打つまでに成長しました。
その息子が中学校では陸上部に所属、土日はリトルシニアで硬式野球をはじめたのですが、1年生の夏に野球は退団し陸上競技だけ続けていました。
息子が野球を辞めたことに対し、私は内心ガッカリしました。
しかし、息子は息子、息子の人生は息子のものと自分に言い聞かせてきました。
自分と同じスポーツをやらせるつもりはもうとうないが、でもやってくれたら嬉しいなと思っていただけに、私は気力を失いました。
その1年生の秋に、自宅で朝から妻に叱られている息子。
私は放っておきたかったのですが、妻の両親と同居している手前、関与せざるを得ませんでした。
説教をはじめた直後、気がついたときは息子の顔をぶん殴っていました。
次にその半年後には「部屋の扉を閉めてくれ」と息子に頼んだら、思い切り大きな音を立てて、それも足で扉をしめたので、私は腹を立てて息子を正座させて説教をしました。
息子は膝のうえにあるこぶしを震わせながら、私の顔をにらみつけて今にも襲いかかりたそうな表情でした。
そんな息子の態度をみて
『俺の息子に生まれたことを不幸だと思え!』
と私は大声で怒鳴り散らしました。
それ以来、息子とは言葉を交わすことはほとんどないまま5年間が過ぎました。
私には一切進路の相談はありませんでした。
息子は高校でも陸上競技を続けました。
毎朝6時に家を出て、夜の10時に帰宅する生活でした。
私は毎日毎日よく頑張っているなと思いました。
高校で息子の鼻っ柱を折ってくれた、素晴らしい女性の先生との出会いが息子を変えてくれたようです。
陸上の成績は鳴かず飛ばずでしたが、一生懸命インターハイに出場する選手のサポートや後輩の面倒をみていました。
その息子が昨年7月にN大学のアメリカンフットボール部のセレクションを受けると聞いたときはビックリすると同時に嬉しい気持ちで言葉になりませんでした。
そんな息子は入学してからは、練習とミーティングを終えて帰宅するのは午前0時。
最終バスもない時間だから駅からは30分歩いて帰宅しています。
今週、妻は1週間出張中で弁当はつくれない。
今朝、台所にいくと大きなフライパンにソース焼きそばが山盛り作ってありました。
私は義理の母が作ったものだと思い、朝食にと一皿分を食べさせてもらいました。
通勤途中に妻からメールを受信。
「昨夜遅くに息子は学校にもっていく焼きそばを作ったらしい」という内容だった。
息子が作った焼きそばだったのか・・・・・やけにしょっぱかった。
一人で朝も起きられなかった息子が、自分の学校生活のために焼きそばを作るなんて、なんだかとても嬉しい気持ちでいっぱいになりました。
そんな息子にアメリカンフットボール部入部のアドバイスとして、
『裏方さん(マネージャー、トレーナー)には常に感謝の心をもって接しなさい』
『同級生から一人も脱落者を出すな!自分から和をつくり、そして励まし、縁あって同級生となった仲間と最後までやりとげなさい』
息子にはこの2つだけ言わせてもらいました。
4年後の桜の花を見るのが楽しみです。
あとは黙って応援するつもりです。
ki銀次郎
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