2016年9月13日火曜日

25年ぶりV、カープ投手陣の手本となった黒田博樹の原点。恩師にしたためた野球人生を象徴する言葉

広島が四半世紀ぶりにリーグ制覇を果たした。その優勝を決めた10日に先発投手を務め、勝利投手になったのが昨季メジャーから復帰した黒田博樹だった。

上宮高校時代は3番手投手。タレントがそろっていたチーム事情、黒田は目立つ存在ではなかったというのが正直なところだった。
当時の黒田は、フォーム的にはバランスがよく、ストレートにキレがあった。ところが、コントロールが悪く、武器になる変化球がなかった。だから、どうしても、試合で登板させる機会としては、練習試合しかなかったのである。


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「練習試合でも結果が出なかったから、いつも、そのたびに、『ベンチ出ろ、走っとけ』といいましたね。ライトのポールからレフトのポールまで走っているのはベンチから確認できますから。ずっと走らせていました」

ただ……と田中元監督は、今思えばと感慨深くこう回想している。

「クロはそんな扱いに、腹が立ったと思いますけど、でもね、一度として嫌そうな顔をしたことがないんです。タフでした。どこかが痛いといったことはありませんでしたし、練習を休まず、愚痴は言わない、言い訳は絶対にしなかった。
そういった人間的な部分が優れていたように思います。何事に対しても一生懸命する。授業にも僕は行きましたが、高校生の多くは表裏の顔がありますけけど、クロは変わらなかった。何事も一生懸命やる、すごく素直、そして、向上心があったと思います」


その大学で飛躍的に伸びたのである。田中は、オフになるたびに母校に帰ってきて、バッティングピッチャーをやる姿に成長の跡を感じていた。ストレートの球速が伸び、黒田の見る目が変わったという。

それにしても、高校時代は3番手投手だった黒田がなぜ、あそこまで成長できたのだろうか。そう問うと、田中は
「やはり人間的な部分ですね」と、こう力説した。

「技術的にはストレートの威力とフォームのバランスの良さだったんですけど、何事も一生懸命、負けず嫌い、向上心を持っているという部分じゃないですか。内に秘めた闘志があったと思います。クロがノックアウトされたときに
『お前、走っとけ』と僕が言った時の眼は今でも覚えていますね。悔しそうな、でも、いつかはやってやるというような『負けじ魂』を持っていましたね」

 さらに――。
「自分はエリートじゃないとわかっていたと思います。それは今も変わらない。メジャーで活躍しましたけど、松坂やダルビッシュとは違う。だからこその、意地もあったと思います。ただ、クロの人間性は変わっていないと思います。もちろん、歳をとるにつれて、成長はしていますよ。でも、基本的な本質の部分はぶれていない」
 
田中はプロ入り後も、黒田の試合をアメリカに観に行くなど、交流を持ったという。そんな黒田にかつて「黒田の好きな文字をTシャツに入れたい」と一度だけ、打診したことがあるという。

 黒田がしたためた言葉は二つ。

『感謝』『苦しまずして栄光なし』

 大した男ですよ……、と田中は言った。
氏原英明(ベースボールチャンネルより)

(><)
黒田がメジャーから日本球界に復帰したとき、あの張本功が喜んだ。私は今も忘れられない。

そして黒田はチームを優勝へと導いた。高校時代は3番手投手だった黒田が。
成功する選手というのは、やれ!と言われたことをなんの疑いもなく素直に練習する人間が多いと思います。

理屈を言わずに一生懸命やる。これが一番大切だと思います。
ki銀次郎

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