2016年9月2日金曜日

ゴルフ花伝書

日本人は日本人に学ぶべし
杉山通敬



~“お殿様”の華麗なプレー~

大事の思案は軽くすべし

小事の思案は重くすべし

『葉隠』



ゴルフは、様式美のスポーツと言えなくもない。下世話に言えば、エエカッコシイのスポーツであるが、それを誰にもさとられず、自己の内面で昂揚(こうよう)させる。


マナーとかエチケットというのも、そうしたものが心のなかにないと守れないところがある。


プレー中の一つひとつの立ち居振る舞いにしても、常に他人の目を意識し、ぶざまな振る舞いだけはしない、と思いつづけることから出発しないと、とんだ失態を演じかねない。

 「鍋島直泰画像」の画像検索結果

カッコよく振る舞うというのも、これで苦労のいるものである。ところが生まれながらにしてジェントルマンシップを身につけている人もいて、そういう人にとっては、カッコよく振る舞うことになんの苦労もいらない。


鍋島直泰がそうだった。
佐賀鍋島藩21代目の“お殿様”である。貴族階級の人だった。
だから、厳密に言えばジェントルマンより一階級、上等な人である。


屋敷の襖障子のたぐいは、全部自動式になっていると思って育った人である。もちろん自動式のはずがない。彼の行くところ必ずお付きのものがいたから、襖の前に立てば開閉してくれたのである。


そういう極上の育てられかたをしたから、エエカッコシイをするまでもなく、エエカッコが身についてしまった。ゴルフは様式美のスポーツだ、と冒頭で言ったが、現在の風潮を見るといささか崩れている。


たとえば、ティショットするときの情景がそうだ。ひとがアドレスしているのに、他のプレーヤーはてんでんばらばらの場所に立ち、時にべちゃくちゃお喋りをしたり、クラブをがちゃつかせたりする。


鍋島はそういう雑然とした雰囲気のなかでプレーすることを忌み嫌った。ショットするプレーヤーの邪魔にならないように、そのプレーぶりを見つめるのに最適な位置というものがあって、そこにきちんと立ってないと注文をつける。


ふつう、3メートルから5メートルぐらい離れた正面もしくは背後が、その位置になる。相手のプレーぶりをしっかり見届けるのもゴルファーのエチケットであり、マナーなのである。ゴルフの様式のひとつなのである。


だから競技会などで初見山のプレーヤーと一緒になると、鍋島は必ず言ったそうである。
「お互いにプレーのラインに立つのはやめよう。きちんとお互いのプレーを観戦しよう」


少なくとも、それだけのことを守りとおすことが出来れば、コースでの立ち居振る舞いはかなり洗練されたものになる。そして、洗練されたエチケット、マナーを身につけていないものは、ゴルフ場でプレーすべきでない、というのが鍋島の意見だった。


「鍋島直泰画像」の画像検索結果
鍋島直泰・公爵が1935年に、ベアシャシー(ボディがない状態)でフランスから輸入。自邸敷地内の小屋で自らデザインした2ドアクーペボディを約半年かけて日本人職人に製作・架装させたクルマだ。写真のとおり「右ハンドル仕様」が当時の欧州製高級車の証である。(社名:イスパノ・スイザ)





鍋島のゴルフを考えるうえで、様式美を度外視することが出来ないのだが、ひとまずはその技術論に目をむけることにする。


「ゴルフは忍耐力を争うゲームである。他人よりも自分がどれだけ自分に負けない忍耐力を持っているか。それによって勝敗が決定する。


ゴルフはまた、頭を使うスポーツなのである。その考えが手足、肩、腰、身体の隅々に、電流のごとく流れなければならない。すなわち考えることが自然に身体の動きで表れなければならない。


人間が歩くのと同じように、あるいは散歩するのと同じように、ゴルフもごく自然におこなわれるものである」


一言で言えば、攻め方とかショットのプランには頭も使い、忍耐も必要だが、ショットそのものは歩くのと同じように自然の動きにまかせろ、ということになるのだろうが、この“忍耐”“自然の動き”ほど、実行しにくいものはない。


技術と精神の鍛練がなければ叶わないものである。
しからば世阿弥は言う。
『稽古は強かれ、諍識(じょうしき)はなかれとなり』

『風姿花伝』の序に戒めが二箇条書かれている。
一、好色・博奕・大酒、これ古人の掟なり。
一、稽古は強かれ、諍識はなかれとなり。
前項はさておき、「稽古…」について。
「風姿花伝第三問答条々」に「いかなるをかしき為手なりとも、よき所ありと見ば、上手もこれを学ぶべし。これ第一の手立なり」とある。そして「いはんや、初心の我なれば、さこそわろき所多かるらめと思ひて、これを恐れて、人にも尋ね、工夫を致さば、いよいよ稽古になりて、能は早く上がるべし。もし、さはなくて、我はあれ体にわろき所をばすまじきものをと慢心あらば、我がよき所をも真実知らぬ為手なるべし。よき所を知らねば、わろき所をもよしと思ふなり。さるほどに年は行けども、能は上がらぬなり。」と言う。で、「稽古は強かれ、諍識はなかれ」と結んでいる。
鍋島直泰
1907年(明治40年)~1981年(昭和56年)東京生まれ。佐賀藩21代目当主。宮内庁式武官、貴族院議員。病弱ゆえ健康のため11歳からゴルフを始め、渋谷松濤にあった農園に練習場を設けて研鑚を積んだ。1933年~35年まで日本アマ3連覇。58年、第1回世界アマ日本代表。196135日、程ヶ谷でおこなわれた競技の10番と17番でダブルエースを達成した。


(><)
ゴルフは“忍耐”なんですね。忍耐が勝るものが勝つんですね。明日のゴルフは“忍耐”をテーマに頑張ってきます。

ki銀次郎

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