(以下、スポニチアネックスより)
米プロゴルフ界で“THE・KING”と呼ばれたアーノルド・パーマー氏が25日、ペンシルベニア州ピッツバーグ市内の病院で心臓疾患による合併症のために死去した。87歳だった。同氏は1955年のプロ転向後、メジャー7勝を含む歴代5位の通算62勝をマーク。テレビ中継の導入によってゴルフの人気が高まる中で米国民のヒーローとなり、06年に一線を退くまで52年連続でツアーに出場した。英雄の死は各方面に衝撃を与え、ライバルだったジャック・ニクラウス氏(76)は追悼のコメントを寄せた。
グリーンキーパーを経てレッスンプロになった父の手ほどきを受けてゴルフを始め、55年のカナディアン・オープンで初優勝。60年の全米オープンでは最終日に7打差をひっくり返して優勝し、一方で66年には7打のリードをひっくり返されて優勝を逃すなど常に話題の中心にいた。全盛期は太い腕から鋭いショットを放ち、強烈なフックの曲がりを抑えるために、インパクト後に左肘を抜いて高く上げる独特のハイフィニッシュも注目された。常に攻撃的なゴルフを貫き人気は沸騰。現在のゴルフ界の礎を築いた。現在、メジャーと呼ばれる4大会も遺産だ。マスターズ、全米オープン、全英オープンを制したが、全米プロは勝てずじまい。4大会全てそろえることを渇望したタイトルがそのままメジャーとして定着した。
60年代後半からはニクラウス氏に第一人者の地位を譲るが、存在感があせることはなかった。ゴルフライターのトム・キャラハン氏は「神はニクラウスに“おまえは誰にもない技術を身につけるだろう”と語りかけ、パーマーには“でもみんなが愛するのはおまえの方さ”とささやいた」と2人の違いを表現。記録より記憶に残るプレーヤーだった。
「ヒーローであるかどうかには興味はないんだ。ただ自分はまだゴルフをしたい」。97年に前立腺がんと診断されたあとも現役を続行。アグレッシブな生き方もまた記憶に残る“勲章”だった。
◆アーノルド・パーマー 1929年9月10日、ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外のラトローブ出身。メジャーはマスターズで4勝、全英オープンで2勝、全米オープンで1勝。シニアのチャンピオンズ・ツアーでは10勝。74年に世界ゴルフ殿堂入り。2人の子供をもうけた最初の妻ウィニーさんは99年に死去。05年に再婚。孫のサム・サンダース(29)もプロゴルファーで今季のPGAツアーのマネーランクで151位。1メートル78、84キロ。
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アーノルド・パーマーの記事は尽きることがありません。私はその中で上記の記事を洗濯しました。
私がゴルフを始めたのは7年前、アーノルド・パーマーがプレーしていたころはテレビ観戦もしていなかったので思い出すことはできません。
一度でいいから肉眼で見てみたかったな。
ki銀次郎
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