ゴルフほど接待に向いているスポーツはないと思う。
何しろ時間は一日たっぷりある。プレーしている時間より移動時間や待ち時間のほうが長く、リップサービスもし放題だ。
消費時間が長いから勘違いしそうになるが、ゴルフは夜の銀座や
六本木で接待するより安上がりである。
接待する側が、腫れ物に触るように得意先に接する姿は見ていて
気持ちのいいものではないが、こういうことができるのも、
ある意味
「ゴルフの器の大きさ」
とは言えないだろうか。
すなわち、ゴルフのこの「ちょっといやらしい一面」は、ひっくり返せばゴルフの最大の長所でもある。
気の合う仲間と、美しい緑の中で、日がな一日(朝から晩までずっと、一日じゅう)、からかったりからかわれたりしながら、子供のように
無邪気な時間を過ごせるからである。
誰かがパットをした瞬間「あっ、弱い」と叫べば、
「弱い弱いは、頭が弱い」とまぜっ返す。
誰かが「ドライバー、ついに開眼だ!」と言えば、
「開いたのは5回目だけど」と切り返す。
こんな遠慮のない闊達(度量が広く、小事にこだわらないさま)な会話の
応酬を、僕は他のスポーツであまり聞いたことがない。
ひとりが打ったナイスショットが、グリーン直前で止まった。
その時ある友人が放った掛け声が、
「三浦とどかず!」
笑った。これぞ駄ジャレのお手本とも言うべきシンプルさであり、
痛快さである。
ゴルフはそういう楽しみ方もあるのかと、僕は感動してしまった。
ティショットをテンプラした時は
「よっ!小林旭(ひばり殺し)」
下りのカート道でランを稼いだ人へは
「斜面ライダー!」
ダフッた人への
「噛んだ正輝」とか
ショートパットした人への
「ヨワイオクチュールマキ」
という傑作もあった。
素人のやるゴルフが、純粋にスポーツと思われないのは、こういう大らかな、ゆるい一面があるからだ。
しかし「そういうのはゴルフ本来の姿ではない。ゴルフをもっとピュアで神聖なものだ」
とお叱りを受けるのを覚悟で言うと、僕はこのスポーツの、
そんな通俗性(世間一般の人々にわかりやすく親しみやすいこと)が入り込む余地にこそ、大人を夢中にさせる蜜も毒も入っていると思うのだ。
すなわち、こういう面があるからこそ、ゴルフは学校のクラブ
スポーツに無縁だった運動嫌いな人まで飲み込み、虜(とりこ)にし、その人がついぞ味わったことのない「青空の下の汗と大笑い」を
体験させたのだ。
ゴルフとは大したものだ。
(文・岩崎俊一)
コピーライター、1947年京都生まれ、同志社大学卒業、
主な作品
「21世紀に間に合いました」(トヨタプリウス)
「やがて、いのちに変わるもの」(ミツカン)
(>_<)
力が入ってしまった人に
「山本力ンダ!」
ナイスショットがグリーンエッヂに落ちた人に
「あわや乗り子!」
トップしてランの多いショットの場合は
「銀座の花や!」(欄ばっかり)
なんていうのもありますよ。
ki銀次郎
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