小林正則、2年前、「とおとうみ浜松オープン」で
石川遼とプレーオフを制してプロ14年目にして初優勝した遅咲き。
インタビューでは「一発やですよ」と笑った。
芽が出るまで時間がかかった。実家に住んで貯金を切り崩しながら生活していたころ、母から
「いったいお前は何をやってるの?プロでしょ?」と苦言を呈され、逆切れして罵声を浴びせ返したこともある。
「アジアが好き」という小林はイップスだったころからアジアに挑戦し続けていた。
毎年のようにQTを受け、最初は歯が立たなかったがここ数年は常連になった。
ホテルに行けばドアノブがなかったり、タクシーに乗れば道がガタガタだったり、インドで腹をこわして死にそうになったこともある。
そこに不便さを感じて「やってられない」と思うのではなく“おもしろがる”感性を彼は持っている。
試合の規模にかかわらず選手たちは、環境や待遇に文句をいうことなく、ひたむきに賞金を稼ごうとする。
かといって日本のようにピリピリした雰囲気はなく、ひょうひょうと大らかに楽しんでいる。
小林は言う「その雰囲気が好きなんです」
日本オープン最終日は、東京学館浦安高校の3年後輩、成績では各上の
小田孔明の胸をかりるつもりで挑んだ。
小田は前日のインタビューで「07年の雪辱を胸に、勝ちたい!死ぬ気で勝ちにいきます」と涙をためながら熱い思いを口にした。
小林は2打リードで迎えた18番Par5、ティショットはバンカーへ入ってしまったが、想定内。
小林は攻めるか刻むか迷った。
「パーでも逃げ切れるかもしれない」手堅く3オン2パットでもよいのではないか?
「これまで守って勝ったことはあるか?攻めずに後悔することになってもいいのか?」
自分の中ではかなり長い時間だったが、VTRを見てみたら、あっさり3番アイアンを握っていた。
終わってみれば3打差の圧勝!
小林にとっては手に汗握る接戦だった。
67打すべて気を抜かずに打たせてくれた小田孔明に心から
「ありがとう」と声をかけた。
「お前じゃなかったらオレは勝てなかった。逃げずに前向きになれたのはお前のお陰」
心の底からそう思った。
小田孔明
「先輩よかったですね」という後輩はじつにいい顔をしていた。
「18番の2打目、先輩が3番アイアンを持った時点であきらめました。低い球でビューンって。学館は上下関係厳しいから(笑)」
(週間ゴルフダイジェスト、NO45より)
(>_<)
こんな記事を読んでしまうと、ますますゴルフのファンになってしまいます。
こういう人間関係を知っていて見る最終戦のJTカップは、格別に楽しめるかもしれない。
人生は、誰もが「やってられない」と思うことがらを頑張ってやったほうが、いい人生をおくれるのかもしれない。
また、たった1歳違っただけでも後輩は後輩、先輩は先輩というのが運動部の常。
32年経った今でも、私を先輩と立ててくれる後輩がいる。そして未だに私をキャプテンと呼んでくれる同期の仲間がいます。
私はそんな仲間に支えられて生きています。みんなありがとう!
ki銀次郎
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