キャディさんにおんぶに抱っこではなく
自分の推理力と判断力を総動員して
コース設計者と対話する。
そうすればゴルフはさらに楽しく、味わい深くなる。(中部銀次郎)
“イチかバチか”
中部ゴルフといえば常に確率を重視し、決して無謀なトライはしない。
安全プレーが身上のように喧伝(盛んに言いはやして世間に広く知らせること)されている。
しかしそんな彼がイチかバチかの勝負にでたことがある。
1969年(昭和44年)東京ゴルフ倶楽部で行われた日本アマ選手権。
体調を崩し一時は7ストロークリードされた銀次郎だったが、終盤に盛り返しトップに肉薄していた。
そして迎えた最終18番ホール、グリーンを狙った銀次郎の第二打が珍しくオーバーして奥の林に突っ込んだ。
行ってみるとピン方向に脱出路はない。
ただ上を見上げると、密生した枝がそこだけぽっかりあいていた。
ピンに寄せるとすれば、イチかバチかその空間を通すしかない。
プレーオフに残るにはこのギャンブルに賭けるしかない。
中部は即断実行した。
その空中ルートを使って見事ピンそばに寄せたのである。
トップ選手の頑張りで、惜しくも1打足りずプレーオフには残れなかった。
だが中部銀次郎でもやるときはやるのである。
ただし、それは最終ホールだったということは銘記すべき
ファクターである。
多くのゴルファーは、1番ホールから“イチかバチか”をやってしまい、取り返しのつかない大叩きを仕出かし、それをきっかけに
際限なくスコアを崩しているようですが・・・・・
ところがイチかバチかの成功体験は、当人の心に強く記憶される。
すると次に訪れたピンチで「ついつい夢よもう一度!」と
まだ序盤戦でギャンブルすべき状況ではないのに、
「あの時うまくいったんだから今度も!」
と、欲に引っぱられてしまうのである。
そういう心の紛れを銀次郎は極度に嫌っていた。
その意味では、やはり銀次郎はイチかバチかを極力避けてプレーしていたのである。
最も確率の高いルートに、最もやさしいクラブで打っていたのである。
土壇場の勝負どころでない限り。
中部銀次郎
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