2015年12月2日水曜日

◆人生最後のゴルフ

よく「一番好きなコースはどこですか?」ときかれるのだが、この質問がなかなか難しくて気が遠くなりそうになることがある。


それでも一応、答えをひねり出そうと記憶を辿るのだが、そんなときいつも頭に浮かんでいるのが白川ゴルフ倶楽部という北軽井沢にあるショートコースだ。
http://shirakawagolf.konjiki.jp/



 
妖精が住んでいそうな森の中にひっそりとたたずむ9ホールなのだが、なかなか趣があるし、何よりもプレイしていて面白い。子供の頃から幾度となく通う隠れ家のような場所だ。


親の別荘が近かったので縁があったのだが、父が人生最後のプレイしたコースでもあり忘れられないのである。
 

父は晩年、間質性肺炎という難病を患い、鼻にチューブをつけ、酸素ボンベをカートで引っ張って歩くような生活を余儀なくされた。
それでもゴルフへの情熱は冷めず、コースへボンベを持ち込み酸素を吸いながらプレイをしていたものだ。



いよいよそれも難しくなり、しばらくプレイから遠ざかっていたある日、北軽井沢を訪れていた私を父が「白川へ行こう」と誘ったのだ。


私は「大丈夫?」といいながらも、この機会を逃すと2度と一緒にプレイすることはないかもしれないと思い、ふたりで出かけることにした。



父はかなり苦しそうだったが、時々立ち止まって休みながらも懸命のプレイし、全ホールを回り切った。


最終9番ホールのスロープをハーハー言いながらグリーンに向かって歩く父の横顔はどこかうれしそうで、誇らしげで、来てよかったなと心から思った。



「悪口を言うなよ。絶対にいつか自分に返ってくるから」が口癖だった父。
説教じみたことは一度も言われたことはないが、気づけば多くのことを学んでいた。


一緒に仕事をしてときは、靴をすり減らしながら営業先をこまめに回る姿に仕事の厳しさを見せつけられた。


体を悪くしてから時々父と出かけたが、日本の街は車椅子に酸素ボンベという父が動き回れるようにはできていないことに気づかされた。
だからこそひとりひとりのちょっとした思いやりが、いまの世の中には大切なのだという考えに辿りつくことができた。



人生最後のゴルフから数ヵ月後、父は旅だったが、10年近い年月が経ったいまでも私はよく父のことを思い出す。
もしかすると、歳を重ねるほどに、父親の流儀を真似ていることに気づくのが男の人生なのかもしれない。そんなことを思いながら、グラスを傾ける夜も多い。


というわけで、わたしには一番好きなコースはない代わりに、一番記憶に残っているコースをあげるなら簡単なのだ。
小林一人

(><)
白川ゴルフ倶楽部というショートコースが父親との思い出のコースだなんて、とても素敵なお話でした。
来年は白川ゴルフ倶楽部へ行って、この親子と同じ芝の上を歩いてみようと思いました。



わたしもゴルフを始めたころ、一度は父と一緒にゴルフへ行こう、そのうち行こう、わたしがもう少し上手くなってから行こう、と思っていた矢先、父は脳梗塞を患いそして他界しました。今でもそれを後悔しています。


大学生になった息子に対する言動をふと再確認すると、死んだ父にわたしが言われたことをそのまま言っている自分がいます。
わたしも知らないうちに父の背中を見ていたのですね。
人生最後のゴルフを誰とすることになるだろうか。
足腰だけは鍛えておこうと思っています。
ゴルフ場でゴルフをしながら死ねたら本望なのだが・・・・・

ki銀次郎

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