2015年9月4日金曜日

中部銀次郎「ゴルフの極意」著・杉山通敬

「コートを着たまま練習することでスウィング軸を安定させる窮屈感を知る」

「難コースも18人の美女に見立てて口説くように攻略すれば上手くいく」
「大叩きは技術ではなく心の問題」

中部銀次郎



~ルール・エチケットは難しくない!~


山路を登りながら、こう考えた。
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
(知恵を表に出すと、事が荒立つ、同情心を持ちすぎると自分自身が流されてさまよってしまう、意地を貫くと思うようにいかない。ともかく人間世界は生きにくい)
ご存じ夏目漱石『草枕』冒頭の一節である。



ルールについて書こうととしている時に、この一節が突如思い浮かんだのはゴルフのエチケット、ルールも智に働けば角が立ちやすく、情に棹させばゴルフ本来の規矩(手本・規則の意)は流され、かといって意地を通せば何かと窮屈な思いを本人にも周りの人にも強い、ゴルフ場全体が居心地の悪い住みにくい世界になってしまう、と符合するところがあったからである。



ゴルフ場という所は、お互いが自明のことを守り合っていればまことに「住み」やすい。この世の別天地かパラダイスのように思えるけれど、自明のことが守り合えなくなれば途端に「住み」にくくなる。



ゴルフにおける「自明のこと」は、いうまでもなくエチケットとルールである。
(自明=特に証明などしなくても、明らかであること。わかりきっていること。また、そのさま。)



無慮600年の歴史の間にゴルファーが育て、はぐくんできた「ゴルフの規矩」である。「それが守られなくなったら、ゴルフもオシマイだぜ」。先人の声が聞こえてくるではないか。



ゴルフはケーススタディのゲームといってよい。技術もそうだけれど、エチケットやルールも場数を踏まないと覚えられないことが多い。相当のキャリアの人でも、ルールブックの頭から尻尾まで熟知している人は少ないのであるまいか。



『私もそうです』と中部はいう。
そうであっても中部がエチケット違反やルール違反したという話は聞いたことがない、見たこともない。



試験勉強でもするように、頭から尻尾までの条項を丸暗記するのを否定する気はないが、「論語読みの論語知らず(書物上のことは理解していても、実行がともなわない人)」、ということもあるから、ルール読みのルール知らずになりかねないであろう。



ゴルフがどのようなゲームであるか、ギュッとばかりに大摑みに把握しておきさえすれば的外れなことはやらない。見当違いな解釈もしない。
だから違反行為とも無縁なのである。



「自明のこと」には理念が宿っているのだ。
中部はそれを大摑みしている。難しいことではない。



中部がゴルフをはじめたのは10歳の頃である。
父君の利三郎氏(故人)に手ほどきを受けた。
最初にいわれたことは「他人に迷惑をかけないこと」であった。



エチケットの第一歩といってよい。
知ってのとおり、ルールの第1章は「エチケット」だが、その文面のどこを捜しても「迷惑」の二文字はない。



「自明のこと」なので文字にする必要がないのである。



「エチケット」の章で説かれていること、すべてを集約すれば
「他人に迷惑をかけないこと」につきるのだ。
これが「大摑み」しておくべき事柄なのである。
ちっとも難しくない。
杉山通敬


(><)
最近の日本人は“順番”の列の並び方や電車の乗り方が常識外れになってきている。


並んでいる知人がいれば、後からきた仲間がその知人と同じ場所に割り込んで並んでしまう。




混雑している電車の中でも、背中に背負うバッグや、肩にかけるバッグなどを手さげ状態にして持たないので、混雑しているのでバッグが無駄なスペースを使ってしまう。


わたしが座席に座っているときは、電車が止まるたびに乗ってくる人やその周囲を注意深く見渡して、妊娠マークをバッグにぶら下げている人や年配者を探しては席をゆずるようにしています。


最近は座席に座ればスマートフォンばかり眺めていて、目の前に妊娠している女性がきても知らん顔してスマホに目をやっている人が多い。


この辺もふくめて“公衆道徳”や“エチケット”などを小中学校で教育するべきだと思います。
そうしないと自分中心の身勝手な人間が多くなり、住みにくい世の中になってしまうような気がします。
ki銀次郎

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