心を養い生を養う
~ 節 義 ~
「為(な)さざるあるなり、而(しこう)して後、以(もつ)て為すあるべし」(『孟子』離婁(りろう)章句下)
世の中がどうなっておろうが自分はこういうことはしないんだというのが、「為さざるあるなり」である。
これは理性と意思の力によって初めてできる。
つまり、だらしのない人間の欲望や興味にまかせる生活に一つの締めくくりを与える、節をつけることである。
それで初めて人間に「道」というものが立つ、これを義という。
これを結んで「節義」といいます。
安岡正篤
(><)
“世の中がどうなっておろうが自分はこういうことはしない”
自分がしない、したくないと決めた正義感を、私たちが子どものころは皆もっていたような気がする。例え自分の命をかけてもという強い意志がそこにあったような気がする。
仕事をしていても、あちらこちらで癒着や収賄が目についてしまう。
だらしのない人間の欲望や興味で行われている。
節義の同義を調べてみると、節操、倫理、人道、道義、道徳とある。
“道”という文字がつく。
私たちひとり一人が人間である以上、あたりまえの道筋だけは踏み外さないで生きていきたいものであります。
ki銀次郎
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