吉田弓美子はヤマハレディースオープン葛城の最終日、重度の花粉症に苦しみながらアン・ソンジュと優勝争いを演じ、最後までプレーして2位をもぎとった。
吉田には試合に出続けたいという意志があった。
吉田2006年クォリファイリングトーナメント(以下QT)でサードまで進んだ後2009年までレギュラーツアーに出場できなかった時期がある。
吉田弓美子にとってこの3年間は、もどかしい日々をおくっていたので忘れられない辛い思い出として記憶されている。
この時期、原江里菜や笠りつ子、有村知恵、諸見里しのぶさんという同年代の活躍を見て、雲の上のたちが更に天の上まで昇ってしまったような感じがしていた。
「2009年のプロテストをトップ合格した後、ファイナルQTが12位で2010年からレギュラーツアーにフル参戦。
はやくみんなと同じ土俵の上に上がりたかった。
(週間パーゴルフ Vol.13)
この当時の思いがあるからこそ、吉田は1試合1試合大切に戦っている。
2012年 35試合中34試合に出場
2013年 36試合中35試合に出場
吉田弓美子は試合に出られない辛さと痛みを知っていた。
「こうしてレギュラーツアーに出られるようになって、今は1試合1試合を大事にしたい。もちろんうまくいかない時期は出たくないと思うこともあった」
「しかし試合に出られないでもどかしい日々を送っている人たちの辛さに比べたらはるかにいい!」
真剣なまなざしで
「私の中では試合に出られるのになぜ出場しないの?っていう感覚がる。どこでチャンスが巡ってくるかも分かりませんしね。出られるうちはなるべく出て、チャンスをつかみたいんです」
「私って、他のプロに比べてそんなに人気があるほうじゃないんですけど(笑)それでも応援してくださる方はたくさんいます。地方に行かないと会えない人から多くの声援や手紙もいただくので、そういう方たちに自分の姿を見せたいんです」
吉田弓美子
(><)
我々一般人でいえばレギュラーツアーに出られないのは失業ですよね。
そして3年のブランクを経て出場というのは再就職できたようなもの。
3年前は賞金女王になったのにな~、今はこれしか稼げない。
バブルの前は年収1000万あったのにな~、今はこれしか稼げないどころか再就職も困難な時代。
仕事を失ってみると、毎日平凡に行っていた仕事場というものがあることがどれだけ幸せだったかということを感じる。
会社の帰りに大勢でお酒を飲みに行ったことが妙に懐かしく思う。
今はその大勢が会社にいないので、やりたくてもできない。
そんなことを考えると、今、毎日通える職場があるということに心から感謝している。
そんな気持ちを持てるようになった40、50歳代のバブル経験者の方は多いのではないだろうか?
私は紛れもないそのうちの一人です。
仕事があって、青空の下で大好きな仲間とゴルフができる喜びを、心から感謝しなければならないという気持ちがもてるようになりました。
“感謝”することの大切さ、感謝したのなら何かで恩返ししたいと誰でも考えるだろう。
私は毎回そんな気持ちをもったまま行くゴルフだからこそ、全力で練習をし、全力で臨みたいのです。
例えOBを打ったとしてもそれは、全力の結果だから必ず次につながるはずです。
どうせ打つなら全力で打ったOBを打ちたい!
ki銀次郎
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