2014年12月12日金曜日

しない生活(小池龍之介)

つながりすぎない、イライラしない
言い訳しない、せかさない、比べない


ときどきこういう文章を読んで、
自分をみつめなおす時間も必要かも?

ki銀次郎




~「どちらが得か」を迷うのは心にとって損~

たかだか待ち合わせ場所ひとつ決めるだけでも、心が迷いに乱されますと、なかなか決められないもので、私も優柔不断なままに
「どこがいいかなぁ」なんて考え、ふっと気づくと十五分くらい経っていた、なんてことがあるものです。



たとえば、こんな具合。
「前回は自分が遠出したので、今度はこちらに来てほしい」
「いや待てよ、来てもらうと、おもてなししなければならず、気疲れするから、両者の中間にしよう」「でも、中間の駅周辺に落ち着ける店をしらない。センスのないやつだと思われたらどうしよう」
「じゃあ、やっぱり来てもらおう」「いや・・・・・」。



このように複数の思考で心が混乱する理由は、私たちが「どの選択肢がより得か」を、計算したがる欲望にあります。
けれども問題なのは、こうして考えを堂々めぐりさせるとき、私たちは精神(と時間)を消耗して疲れてしまうということです。



つまり、「どちらが得か」で迷うこと自体、心にとっては損だと申せましょう。
迷うのは疲れることだと、うっすらなりとも知っているからこそ、私たちは無尽蔵に選択肢が増えるのを嫌うのではないでしょうか。



たとえば、ある商品の風味を十何種類も用意して選べるよりも、二、三種類からさっと決められるほうが人気が出る、というような事例もあるようです。



とは申しましても、優柔不断な私たちは、うっかり迷いに入り込んでしまうもの。
そんなとき思い出すとよいのは、迷っているからには、いずれかの選択肢が決定的に優れているわけではないということです。



つまり「より得なほう」を選べても、実はたいした差ではない。
「ちっぽけな得を求めて、ケチな欲望に心乱れる卑小な自分なのだなあ」。



そう気づいて、「得」じゃなくてもよいからさっと決めてしまいましょう。
小池龍之介

(><)
つまり「より得なほう」を選べても、実はたいした差ではない。
「ちっぽけな得を求めて、ケチな欲望に心乱れる卑小な自分なのだなあ」。
そう気づいて、「得」じゃなくてもよいからさっと決めてしまいましょう。



これってゴルフショットもそうですよね。
あれこれ考えないで欲を出さずにサッと打て!ということですよね。
ki銀次郎

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