2014年12月8日月曜日

石津謙介の男のおしゃれ実用学

“おしゃれとは演出である”




おしゃれもオーバーになると、まったく鼻持ちがならぬ。
ちょっとでもゆきすぎると、すぐにキザな奴というかんばしからぬ名前をちょうだいする。



その辺の演出はなかなかむずかしい。
無作法ということは一つの立派な演出法であり、
これには自信の裏づけが必要になってくる。



無作法と無関心は、本質的に意味が違う。
演出の何たるかを心得ない男は野暮とよばれる。



頭がよくなければ、要領を心得なければ演出などという技術はとうていやりとげることはできぬ。



キザな奴だとか、にやけた野郎などと悪口をいっている連中の中には、多分に羨ましさと、ひがみ根性がその言葉の裏に隠されている場合が多い。



しかし、誰が見てもいただけないキザな奴というのも確かにいる。
一見紳士風でありながら自分自身を誇示したさのあまり、
やけに尊大ぶる人。



いかに自分が金持ちでケチケチしていないかを見せたがる人。
自分がどんなに教養があり、高級な文化人であるかを持ちものや
言葉の中にちらつかせる人。



男のくせに、自分の容貌や服装のことを話題にしてそれとなく自慢したがる人。



有名人を君づけで呼んで、いかにも親しい間柄であるかのように印象づける人。



こんな人は皆、その人自身のコンプレックスを隠さんがためにする演出であり、
これはオーバーなどというよりも、
むしろ本人の哀れさを一層引き出すような逆効果といえる。



演出という言葉を嫌う人も多いが、
それは何となく技巧だとかテクニックといった、
小手先のお芝居のような感じにつながるからかもしれぬ。



しかし、ぜんぜん演出をしないということは、もはや現代では、それを美徳とは申されまい。



スマートに見える人。
面白い人。
よく気のつく人。





みんなある意味の演出がともなってこそ、人にあたえる好感も倍加するということにほかならぬ。
おしゃれとは、人に好感をあたえるための演出である。
石津謙介

(><)
ここで私の知っている対照的な社長さんを紹介しましょう。
一人は、一回座って5千円というスナックで、自分一人で行ったときはボトルを入れない。



お酒の量がボトルの底に近づくと、底から2センチくらいのところで飲むのをやめておく。
ボトルを入れるのは、他の社長さんがお金を払うとき。
自分の名前でボトルを入れてもらうというのがクセになっている。



年間10万円も使わないお店なのに殿様気取りでママや女の子と接する。
ゴルフ場へ行けば、アプローチ禁止と書かれたグリーンの横で一生懸命にアプローチの練習をし、ティインググラウンド横で立ち小便をする社長だ。



そしてもう一人は30年間つき合っているが、お酒の飲み代、食事代は1回も私に出させてくれない社長さん。



私が少年野球の監督をやっていた時代に、地元小学校のグラウンドに見学にくるときのファッションも、革靴をはいてカシミヤのセーターとジャケットを羽織り、前髪をきっちりあげてくる社長さんです。



お金の問題ではなくて、“おしゃれ”に立ち居振る舞う姿が、
行動の端々にあらわれてしまいます。



『アホにゴルフは似合わんよ』
とは赤星四郎さんの言葉、
“おしゃれは”な大人になりたいですよね。

磯辺銀次郎

0 件のコメント:

コメントを投稿