2014年12月3日水曜日

“Choice ツウの目線”(マッスルアイアン)

MIZUNO MPアイアン物語






「ハチナナ」マッスルの末裔
ホーガン、ニクラウスがこよなく愛した“マッスル”は、
日本のプロのクラブ観にも多大な影響を及ぼしている。
“ハチナナ(MP‐29)”の末裔は米国で考えられ、日本で生産されている。


ジャンボ尾崎監修の『JUMBO MTN Ⅲ プロモデル』(ブリジストンスポーツ)、
中嶋常幸監修の『ミズノプロTN-87』(ミズノ)がそうだ。





“ハチナナ”から始まり今へと続く、ミズノマッスルの変遷を見て見よう。
日本生まれの米国マッスル。
『MP‐33』から始まった米国ミズノ主体のMPアイアン開発。
最新の『MP‐4』に至るまで、どのように進化を遂げたのだろうか?



“ハチナナ”の系譜は途絶え、米国マッスルの時代になった。



『TN-87』は、文字通りミズノが誇る国産プロモデルアイアンの“名器”である。
しかし、そのマッスル的なバックフェースの系譜は監修プロである中嶋常幸のクラブ観の変化によって、一旦途切れてしまう。



『TN-87』のあとに“ストレート・マッスルの『TN-91』を発売。
しかし、次の『TN‐93』(94年発売)になると
ハーフキャビティ形状となり、マッスルバックテイストは
消え去ってしまうのだ。



90年代中盤を境に国内プロのニーズは軟鉄鍛造の
ハーフキャビティとなり、日本市場からマッスルバックが姿を
消すのである。





一方米国では『ミズノMP-29』と名前を変えた
“ハチナナ”がロングセラーを続けていた。



『MP-14』という米国専用マッスルも95年に発売。
なんといっても97年、デビューイヤーのタイガー・ウッズが
『MP-29』(♯2〜♯4)と『MP-14』(♯5〜♯9、PW)をコンビネーションしてマスターズに勝ったのが大きかった。



これによってミズノマッスルは米国で市民権を得て売れ続けていくのだ。日本ではまったく売れないマッスル。
でも米国ではその新製品を望んでいた。





そして2003年、米国ミズノ社が主体となって開発した久々の
ニューマッスル、『ミズノMP‐33』が米国市場で発売されるのだ。




ミラー仕上げのバックフェースには、緩やかな曲線の内盛りがデザインされていた。
美しい“カーヴド・マッスル”の復活!



しかしそれは同時に“ハチナナ”基準のミズノ伝統シェイプの
終焉を意味した。
『MP‐33』はフェースのヒール側が低く、面長に見える典型的なアメリカシェイプだったのだ。



そしてその米国ミズノ主体のMPアイアン開発が
最新の『MP‐4』まで続いている。



(><)
なぜ半期に一度、月間ゴルフ雑誌にマッスルバックアイアンが取り上げられるのだろうか?ゴルフ好きの方に説明はいらないだろう。



以前ブログでも紹介したが、練習場で凄くいい音でアイアンショットしている人をみかけた。
キャディバッグをのぞくと『JUMBO MTN Ⅲ プロモデル』だった。



私はそのクラブのことは知らなかったのだが、明らかの他のクラブと音が違うことは明確だった。
ミズノのアイアンも同様で、練習場で見かけるのは古いタイプの
アイアンだと『MP‐33』『MP‐37』をよく見かけます。



以前もShoiceに掲載されていたのだが、ミズノのアイアンの
フェースに使用されている素材のモリブデンは、ミズノの頭文字Mを最初に記載した特許ナンバー登録をしている素材なのだ。



『ミズノプロTN-87』にはじまり、
『MP‐33』『MP‐37』を経由し、
『MP‐68』『MP‐69』へと移行して、
その技術はまちがいなく『MP‐4』へ伝承されている。



ミズノのアイアンに出会えたゴルファーは、まぎれもなく道楽者といっていいのではないでしょうか?
昭和40年代のトヨタ自動車のコマーシャルのコピーに
「私もいつかはクラウン・・・?」
というセリフがありましたが、
私もいつかは、ミズノのMPアイアンを持ちたいと思っています。

磯辺銀次郎

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