ゴルファーは技術向上にかけて
並々ならぬエネルギーを費やす。
それはゴルフ発祥の時代から変わらない。
ゴルフ上達における歴代の金言は
技術書以上に核心を突く。
~法律は悪人が存在するものとしてつくられているが、ゴルフ・ルールは、故意に不正をおかすプレーヤーはいないという前提でつくられている~
これは日本ゴルフ界の草分けであり、長く日本ゴルフ協会(JGA)の規則委員としてゴルフ・ルールにふかい造詣のあった大谷光明の著『日本ゴルフ規定の解説』のなかにある言葉である。
ゴルフ・ボールは遠く飛ぶかわりに、どこへそれるかわからないので、プレーヤーが左右にはなればなれになってプレーする場合が非常に多い。
そのため不正をおかそうと思えば、人目につかぬところでボールをこっそり動かしたり、ひそかに別のボールで紛失球をまぬがれたり、あるいはスコアをごまかすことさえできる。
だが、もし最初からそういう不正なものを考えに入れたら、おそらくゴルフというゲームは発明されなかったかもしれない。
その点で、ゴルフはまことに大らかなゲームであって、ゴルフほど人間の善意を信頼したゲームはほかにないであろう。
いいかえれば、規則における罰則は、すべて善意の過失によって規定の処置をあやまったものに対してプレーの公平を期するのが目的であって、もし規定に明示されていない不測の問題がおきたときには公正の理念にてらして解決せよ、というのがゴルフ規則の精神である。
われわれゴルファーは、このように人間の善意を信頼した大らかなゴルフ規則を裏切ってはならない。
それどころかむしろ誇りとしなければならない。
大谷光明
(><)
ゴルフはその人の性格が最悪の形で現れる。
ドロップする腕が伸びていなかったり、パットのときにパターヘッドがボールに触れたりしても申告しないとか、いろいろな形で現れてしまう。
どんな些細なことも“自分に有利”にものごとを考えてはいけないのがゴルフである。
最後に書かれている文章を誇りとして胸に刻み、ゴルフという歴史ある競技に臨みたいと思います。
ki銀次郎
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