2015年11月27日金曜日

◆18ホールの起源(ゴルフの街を行く 大澤啓藏)



18ホールの起源説として、もっともよく知られているのは以下の「ウイスキー説」ではないだろうか。


ゴルフが初期時代、スコットランドの海に近い冬場のリンクスコースでは冷たい北風が吹いており、ゴルファーたちは1ホール終わるごとにウイスキーを一杯やって、からだを温めながらプレーをしていた。


そして18ホールを終えたところで、ウイスキーの瓶が空になったのでプレーを止めて引き返し、近くの宿屋に行ってゴルフ談義に花を咲かせたである。


このためウイスキーボトルの量にちょうど合うように、ゴルフコースも18ホールにしたのだ。


いかにもスコッチ・ウイスキーの故郷らしく、ゴルフとウイスキーが上手くマッチした話である。しかし、残念ながらこれは後代の作り話であり、以下に述べるのが事実のようである。


スコットランドにある古いリンクス・コースは、約6000年前頃に海岸線が隆起し、海が後退して現れた砂利の土地の上に、風によって運ばれた砂が覆ってできあがった海岸沿いの砂丘地帯がもとになっている。



そこに芝生や灌木などが自生すると、やがて野ウサギやキツネなどに小動物も生息するようになり、これを捕獲するハンターがこの緑地帯に出入りして何百年のあいだに道ができ、それがゴルフコースのフェアウェーになったのだといわれている。


このように、自然の力によって造られた海岸の砂丘地帯(リンクスランド)に造られたコースでは、ゴルフがおこなわれはじめた初期から18ホールが造られたのではなく、各リンクスの状況に応じて数ホールが造られたのである。



たとえば、「エディンバラ・ゴルファーズ」が最初にプレーしていたリース・リンクスはループ状の5ホールであったし、マッセルバラのリンクスは7ホールだった。


また、ノース・ベリックは7ホール、ガレーンは13ホールといった具合である。

 

セントアンドルーズのリンクスでは、最初は海岸に沿って直線に近い形で作られた12ホールでプレーをしていたが、公式競技を開催するにいたって不便を感じるようになり12ホールのうち10ホールを大きなダブル・グリーンに改造し、同じホールを往復で使うことにして出発点に戻れるような22ホールのコースにした。



さらに、1764年にも大改造をおこなって、ホール間の距離が短かすぎた最初の4ホールを2ホールにもとめた結果、往復で4ホールの縮小となり、18ホールのコースができあがったのである。


セント・アンドルーズのオールド・コースが18ホールに決まり、1834年にはウイリアムⅣ世から「ロイヤル・アンド・エンシェント」の称号を授けられるとともに、英国全土におけるゴルフの統括権を付与されたことによって、ロイヤル・アンド・エンシェント・ゴルフクラブ・オブ・セント・アンドルーズ(R&A)は名実ともにゴルフ界の主導的な立場を築くことになった。

 

こうして、1880年代以降に各地に結成され、専用コースを持つようになったゴルフクラブの多くは、セント・アンドルーズにならって18ホールのコースを造るようになったのである。



1860年に始まった全英オープンも、第12回までは、12ホールのループ状コースであったプレストウィック・ゴルフクラブで開催されていたが、1873年の第13回大会は初めてセント・アンドルーズで開かれることになった。



その後、1891年までは、プレストウィック、セント・アンドルーズ、マッセルバラ(オナラブル・カンパニー)で交代しながら開催されることになり、プレストウィックもついに1886年(一説では1883年)、コースを拡張して18ホールとなったのである。
大澤 啓藏

(><)
ゴルフの起源を調べてみても、いろいろな説があります。わたし自身ウイスキーのスキットル説だと思っていましたが、この大澤さんの説は真実っぽいですね。

ki銀次郎

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