2016年10月17日月曜日

【巨人】尚広引退!「生半可な気持ちでは続けられない」悩み抜いた胸の内独占激白

巨人・鈴木尚広外野手(38)が、今季限りでの現役引退を決意したことが12日、分かった。数多くのけがに泣かされながらトレーニングを重ね、通算228盗塁で、盗塁成功率が200盗塁以上の選手で歴代トップに立つなど、球界屈指の走塁のスペシャリストに成長。プロ20年目を終えて大きな決断を下したが、スポーツ報知に悩み抜いた胸の内を独占激白した。

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■けん制死が最後のプレーに
勝負師らしい、決断だった。尚広が20年間身に着けた巨人のユニホームを脱ぐ。
「今年1年、自分の引き際を考えるようになった。もちろん、試合が始まれば頭にはないけど、それ以外では引退の2文字が頭に出てくるようになった。そういう気持ちではプロとしてはダメだと思った」

結果的には、10日のDeNAとのCS1S(東京D)の第3戦、同点の9回無死一塁で代走で出場し、けん制死したのが最後のプレーとなった。

■今季も失敗なし10盗塁
9月には通算盗塁成功率が8290毛となり、広瀬叔功(南海)の8289毛を抜き、200盗塁以上の選手で歴代1位に立つなど、今季も失敗なしの10盗塁。12年連続2ケタ盗塁と衰え知らずだが、自分の気持ちにうそはつけなかった。

■原氏の監督就任が転機
96年ドラフト4位で入団し、今年が節目の20年目だった。入団当初は体の線が細く、度重なる下半身のけがで持ち前の脚力を披露する機会はなかった。「自分には何が足りないか、そして何ができるのかを考えたい」と02年には若手では珍しく個人トレーナーと契約し、オフの間、けがをしない体作りに励んだ。

原前監督の巨人監督就任が転機だった。02年に代走の切り札として1軍に昇格し、42日の中日戦(ナゴヤD)で初出場。同14日の中日戦(東京D)で初盗塁をマークし、ここからスピードスターとしての伝説が始まった。毎日、一番乗りで球場入りし、準備を続けて機会を待った。「体力、技術だけでは成功しない。準備して心も鍛えないと、“ここぞ”では力を発揮できない」と言い続けていた。引き際を考え、心が鍛えられなくなったからこそ、引退を決意した。

■巨人一筋20
巨人で過ごした20年間は、感謝しかないという。「僕を見いだしてくれて、獲得してくれて。まさか20年も続けられるとは思わなかった。スカウトの方々、歴代の監督、コーチ、選手、そして球団の方々。感謝しても、しきれない。そして、グラウンドに立つと大歓声をくれた巨人ファンのみなさんには、力をいっぱいもらいました」

ファンから「神の足」とたたえられたあの走塁はもう、見られない。球史に残る名ランナーが、そっとスパイクを脱ぐ。
 ◆鈴木 尚広(すずき・たかひろ)1978427日、福島・相馬市生まれ。38歳。96年、福島・相馬高からドラフト4位で巨人入団。球界屈指の快足で02年に1軍デビュー。以後、足のスペシャリストとして活躍。08年にはゴールデン・グラブ賞を獲得。15年には初のオールスターに監督推薦で出場した。通算1130試合、打率265厘、10本塁打、75打点。通算228盗塁で、通算盗塁成功率8290毛は、200盗塁以上の選手で歴代トップ。180センチ、78キロ。右投両打。年俸6000万円。
スポーツ報知
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このようなスペシャリストの今後が楽しみです。勿論ジャイアンツは鈴木を走塁コーチとして残すのか、それとも外へ出すのだろうか?いずれにしても鈴木尚広には更に大きく羽ばたいてもらいたい。

ki銀次郎

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