2015年5月29日金曜日

中部銀次郎のグリーン周り

プロも唸った
伝説のアマチュアが
やさしく寄せる
アプローチの極意を伝授




~感謝する心~

「あちゃ~7も叩いちゃったよ」
『7も叩いたですか???』


「えっ?・・・何かいけませんか中部さん?」
『私なら7で収まってくれてよかったなと感謝の気持ちで受け止めますが・・・・・』




「第一なんか宗教めいていませんか?7も叩いて感謝だなんて!」
「あっ!チョロだ!」



『さっきの7を心の中で引きずっていたからじゃないですか?』
「そ・・・そりゃ引きずりますよ!あ~あ、まいったな・・・・・」


『7を叩いた⇒頭に血が上った⇒そのままの状態でプレーをしてミス⇒またまた頭に血が上る・・・・・』
『この悪循環を断ち切らない限り、いいスコアは望めないんじゃないでしょうか?』


「確かにそうかもしれません・・・・・」
「でも断ち切る方法なんてあるんですか?」



『それが“感謝の心”だと私は思っているんです』
「ま・・・た感謝の心ですか・・・・・」




『ゴルフは一度起こってしまったことはいくら悔やんでも取り返しがつきません』
『それなら悔やむより感謝の心で受け止めたらどうだろうと』



『ある時ふと思いついたのです』
『すると、不思議なほど心の切り換えがうまくいくことに気がつきました』


「感謝とは心の切り換え・・・・・」
「するとたった50ヤードしか飛ばなかった、このティショットを前にしても・・・・・」


『そうです50ヤードも飛んでくれてありがとう』
『400ヤードのホールが350ヤードに縮まってくれて大助かりと感謝の気持ちでセカンドショットに臨めます』


感謝の心などというと誤解を招きかねないから、中部はあまり口にしんかった。
しかし中部は1ショット1ホールごとに感謝の気持ちでラウンドしていた。
実はそれがしたたかなメンタル戦略にもなっていたのである。
中部銀次郎

(><)
ミスショットをした後の切り換え方は人それぞれにお持ちだと思います。もしくはお持ちでない?
持っているつもりでも、その切り換え方がはたして効果的かどうかは疑問ではありませんか?


正直いって私は持ち合わせていません。
深呼吸したり、遠くの景色を見たり、大好きな食べ物のことを考えるくらいで、決して効果的だとは思えません。



ティショットでチョロ打って、なかなか感謝をすることはできません。
人間は“なかなかできないこと”の方が多い。
それを克服したとき、気持ちの切り換えができるようになったり、無我の境地になることができて、ゴルフに反映させるような気がします。



ミスショットをした後の「アッ!」という声を一つとってみても、今日プレーできているゴルフ、同伴者、天気、健康、仕事などに本当の意味で感謝していれば、ミスショットしても「アッ!」という声は自然に出なくなると思います。


ミスショットした後の「アッ!」という声が意味しているのは“虚栄”
自分はもっと上手いはず、こんなはずじゃないという虚栄だと中部銀次郎さんは言っています。



悪状況からの切り換えというものは、こんなこともつながっているような気がします。
この数年間でいろいろな本を読んできましたが“感謝”という言葉をたくさん目にしました。
幸せな人生をおくるためには“感謝”は大切なキーワードなんですよね。

ki銀次郎

HOLE IN ONE(ホールインワン)

HOLE IN ONEはアメリカでは“ACE”とも呼ばれています。
PGAツターではむしろ“エース”と表現されています。




エースはアメリカの造語らしいが、イギリスでは“HOLE IN ONE”と表現されています。
元々はHOLE MADE IN ONEが正式らしい。



Par3のショートホールで発生するホールインワンですが、まれに距離の短いPar4でエースを達成する者もいます。
タイガー・ウッズや中嶋常幸プロが達成しています。



記録に残る最古のエースは、全英オープン4連勝という偉大な戦績を残したヤング・トム・モリス。
1868年、全英オープン(ブレストウィック)で彼はティーショットを1発で入れている。




エースを研究した科学者の分析は以下の通りです。
エースの3割はミスショット
エースの出やすい距離は130~140ヤード。
季節は1位6月、2位8月、3位11月
天候は薄曇り、風は弱い
午前2割、午後8割の確立
男子プロ・トップアマのエースの率3700分の1
女子プロ・トップアマのエースの率4660分の1
アマチュアゴルファーのエース率43000分の1


※1ラウンドにショートホールは4ホールだから10750ラウンドして1回出る確立ですね。

安岡正篤(一日一言)

心を養い生を養う



~大努力①~


修養のしかたによっては、人間にはいかなる能力があるかわからぬほど貴い。
研究すればするほど、人間の美質は発見せられ能力が発揮せられるのである。



学校の成績は平均点が三十点でも四十点でも、それで己は駄目だと考えてはいけない。大いに有為有能の人材となる大理想を持ち大努力をせねばならぬ。



大努力をなすには、当然自ら苦しまねばならぬ。
苦しんで開拓したものでなければ本物ではない。
人並みの努力をしたのでは秀(すぐ)れた者にはなれない。
安岡正篤

(><)
自分が望んでいる実力や結果がだせないということは、努力が足りないということ。



人並みの努力では勝れた物(技術)を得ることはできない。
苦しんで、苦しんで身につけたものでないと本物にはならいということでしょう。


努力をするということは、時間を費やす。
生活のどの部分を優先するのか、努力する時間を優先するのか、肉体的な苦しみ以外にも苦しむことはたくさんある。



精神的にも肉体的にも苦しんで苦しんで得るものだから人並みを超えるのですね。
苦しくないのは努力とはいわないのかもしれません。

ki銀次郎

5月28日(ゴルフの日、花火の日)

◆19:00

親友に頂いたチケットでプロ野球交流戦(巨人vs西武)を、私の人生教師でもある大先輩と2人で観戦しました。
親も言わないことをいってくれる先輩です。


高校時代に神奈川県の強豪チームでプレーしていた息子さんは、ベイスターズコーチの小池君と同期です。
先輩は野球が大好きでとても喜んでくれました。

観戦場所は“2回バルコニー席”といって33番ゲートから入ります。
指定席でブッフェスタイルの食べ放題でした。
2人ともちょっと食べ過ぎてしまいました。




驚いたのは、西武ライオンズのクリーンアップ。
3番(浅村栄斗)、四番(中村剛也)、5番(森友哉)の3人とも大阪桐蔭高校出身でした。



19歳の森の打球は、勢いがある。体は小さいながら飛距離はホームランバッター並みでした。
試合は4-1で巨人の勝利!ベテラン高橋由伸の活躍がとても嬉しかった。

ki銀次郎


練習は心の鍛錬!   
2015528日 木曜 23:00

  
◆23:00

50球
4鉄×20球    6鉄×30球  
バットスウィング×準備体操程度
スピードアシストトレーニング×1回入魂
球置きスクワット×(><)
ストレッチ×20分

東京ドームから車で45分でもどり、50球だけ練習しました。
3階の右端の打席から、奥まで張ってあるネットぎりぎりにネットと平行な球を打つ練習をしました。


マットのラインは正面中央に向いているので、当然右を向いてアドレスをするわけですが、ネットに当てないで平行に打とうというプレッシャーがかかるので、まともなスウィングをさせてもらえませんでした。


“ネットに当てない”という気持ちが無意識にフック回転の球を打ってしまいます。

ゴルフはいかに“心”が大事なのかということがわかります。
練習場ではナイスショットを求めて、むきになってスウィングのあれこればかり気にして練習することが多いが、もっと大事な練習があるのだと思います。


トラブルショットの練習をしておくことで、いざそういう場面に遭遇したとしても「練習場で練習してきているから大丈夫!」
こう思えるということも含め、トラブルショットの練習=心の訓練なのかも知れません。


脳にいちばんよくないことは「同じことの繰り返し」
練習場では、コンコン球を打っているだけではなくて、もっともっと工夫した練習をしなければゴルフという競技は上達しないのかもしれませんね。
ki銀次郎
累計練習打球数:174,325

2015年5月28日木曜日

甲子園で“さよならボーク・・・を宣言した審判心中”(林清一)

青春のすべてを甲子園という夢の舞台にかける球児たち。
勝負である以上、どんなプレーにも判定が伴う。



大舞台だからこそ、ではなく甲子園に縁のない高校同士の練習試合も、日本中が注目する場面でも、
仮に少年野球であっても普遍のジャッジがあってこそスポーツは成り立つ。

 

1998年夏の甲子園大会2回戦。
豊田大谷と宇部商業は延長15回、史上初の“さよならボーク”による豊田大谷の勝利という幕切れとなった。



球審を務めた林清一氏(59歳)に試合を振り返り、高校野球の審判哲学を語っていただいた。



100年の歴史で今のところ唯一のジャッジは、異様な雰囲気の中、“究極の当然”を求めた結果の産物でもあった。

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人によるかもしれない。
林氏は対戦チームの“下調べをしない”をモットーにゲームに臨んでいる。
「コントロールがいいとか、三振記録を持っている、という予断が入ると際どい球のジャッジがぶれるかもしれません。人間には弱さもありますから」



完璧ではないことを認め「見たまんまで判断する」
長年、自らに言い聞かせてきたことだった。




第2試合。グラウンドは38度。
直後に横浜・松坂大輔の試合が控えており、その時点で球場は満席だったと振り返る。



5回終了時、水を飲んだ。
試合は延長へ突入。
「水分の差し入れを期待したが来なくてねぇ」と笑う。




審判もバテて、打球を追い切れなくなっていた。
しかし
「早く決着をつけたいと思ったらジャッジが雑になる」
と必死に判定を続けた。



15回裏。
豊田大谷は無死満塁の絶好機を迎えた。
200球を超える球を投げてきた宇部商エース・藤田修平はこの場面で林氏の想定になかった動きをした。



「審判として一番いけないのはビックリすること。そうならないようにあらゆることを想定するのですが、あの時、ボークだけは考えてもなかった」と振り返る。



「ふらふらで、汗もすごい勢いで流れていた」という林主審の眼前で、プレート板に足をかけた藤田はセットポジションに入ろうとした手を“ストン”と落としたんです」




林氏は迷わず「ボーク!」を宣言、サヨナラゲームとなった。
「5万人のスタンドが一瞬静まりかえって、そこからざわざわする声に変わりました」
とその瞬間を振り返った。

 


もし藤田君が足を外していれば、ボークではなかった。
「だんだん不安になりました。(ミスジャッジなら)やっちゃった!審判人生終わりだな」
とも思った。


もちろん現場やテレビなどを見た同僚、関係者から
「間違いなくボーク」の確認が入った。



それでも直後の会見では、報道陣から
「なんであんなところでボークをとるんだ!」
「注意でおわらせられないのか」
といったヒステリックな声も飛んできたという。


この場を収めたのはベテラン審判員の三宅享次氏。
「審判はルールの番人です。以上」
と制した。


当時は四角四面の冷徹なジャッジと感じる向きもあった。
通常、試合終了時は野手のミットやグラブに送球(投球)や、サヨナラなら打球が収まる。
しかしこの試合は、投手・藤田の手にボールが握られたままだった。



甲子園の暗黙のルールとして、ウイニングボールは目立たないように勝利校の主将にプレゼントされる。
が、林氏は2年生投手の藤田が渡そうとしたボールを
「持っておきなさい。そして来年また甲子園に来なさい」
と受け取らなかった。(涙・涙)
勝った豊田大谷の主将にはポケットから出した試合球を手渡した。



試合を2時間以内で終わらせるため、ひっきりなしに選手を急がせ、機械的に判定を下すのが審判員ではない。



とっさにウイニングボールを敗戦投手に手渡した林氏。
他の試合中にも、さまざまな隠れたやりとりはある。



終盤、つるべ打ちに遭った投手。
球数は増え、何度も本塁のバックアップに走り肩で息をしている。
本塁付近にいれば「頑張れ」と声をかける。


大敗の終盤、代打に背番号「18」の選手が出てくる。
明らかに足が震えている選手も少なくない。
こっそり「深呼吸しなさい」とささやいて汚れてもいない本塁ベースを掃き、時間をとってやる。(涙・涙)



「甲子園は、誰にとっても一世一代。少しでもいいプレーをさせてやりたい」
林氏は
「そういう時のために通常は無駄な時間を省いて“貯金”をしておくんです」という。
血の通った“ルールの番人”があればこそ甲子園で球児は躍動する。
林清一


(><)
私の後輩も甲子園大会で2塁塁審を経験した者がいます。
地方大会での経験と実績を経て、甲子園の審判は各地で選ばれるのだそうです。



甲子園での塁審に限っては、一生に一度、1試合だけである。
甲子園で一度審判をした者は、二度と召集されることはないと聞いたことがある。



“ルールの番人”とはそういうものなのですね。



私は過去に少年野球(小学校低学年)の球審をつとめたとき、ミスジャッジしたことを記憶しています。
未だに忘れることができません。


講習会はあるにせよ、審判員という役割を理解するのは人それぞれ多少の認識は違って当たり前だと思います。



林清一さんのように“普遍のジャッジ”をすることに全力を尽くす姿は感動させられました。

ki銀次郎