2016年1月28日木曜日

◆柴田錬三郎と坪内寿夫(奥道後ゴルフクラブ)

昨年末、いつもお世話になっている社長さんとゴルフ談義をしていました。死ぬまでに一度でいいから行ってみたいゴルフはどこだ?という話になりました。するとその社長さんは“奥道後ゴルフ倶楽部”だといいました。坪内寿夫が柴田錬三郎さん一人のために造られたゴルフ場だそうです。
 

以下、倶楽部SHIMAJI現代ビジネスより


いまから50年以上前の話になるけど、坪内さんは柴田錬三郎先生の大ファンだった。しょっちゅう柴田先生を奥道後ホテルに招待して美味しいもので饗応するんだけど、柴田先生はいつも2泊くらいで帰ってしまう。



「柴田先生、もう少し長居していただけませんか」と坪内さんが言うと、柴田先生は「坪内、ゴルフ場を造ってくれたら何日でもいるよ」と冗談まじりに言ったそうだ。


するとしばらくして、坪内さんから「手頃な山を買ってあるから見てください」という連絡があった。山を見た剣豪作家が「坪内、ここはゴルフ場を造るには険しすぎる。無理だな」と言うと、「わかりました。1年だけ時間をください」と坪内さんは答えた。
1年後、同じ場所に行ってみて、柴田先生は腰を抜かすくらい驚いた。険しかった山がきれいに削られ平らに造成され、一流のゴルフ場を作り、芝を3年間寝かしたと柴田先生は仰っていた。
「たった一人のゴルフ場」として坪内さんが柴田先生に献上したそうだ。

坪内寿夫
1914-1999年 昭和後期~平成時代の経営者
大正3年9月4日生まれ。満鉄に入社。シベリア抑留ののち松山で映画館を経営。昭和28年来島船渠(現新来島どっく)の社長となり同社を再建。以後、大王製紙、東邦相互銀行、佐世保重工業など再建。最盛期には約180社の企業グループを築く。
再建王とよばれたが62年来島どっく本体の経営悪化で退任。平成11年12月28日死去。85歳。愛媛県出身。弓削商船学校卒。

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“大将”(坪内寿夫)という本は柴田錬三郎さんが書いた本だそうです。
早速購入したので読むことにしました。



プレーするのは、坪内寿夫さんと柴田錬三郎さんのたった2人だけでしたから、和製オーガスタ・ナショナルといったところではないでしょうか?

ki銀次郎

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