2016年12月22日木曜日

戦友たちの30年越しの告白に感謝を。清原和博からの1本の電話。

新幹線は東へ向かっていた。8月末、私は清原和博をめぐる旅の途中だった。取材で訪れていた三河安城駅から東京行きの終電「こだま」に飛び乗ると、リクライニングを倒して、息をついた。ふと、携帯電話を見ると、見覚えのない番号から着信が入っていた。誰だろう? そう思いながら、かけてみた。

 「…………です」

 電話の向こう側でくぐもった声がしたが、よく聞こえなかった。友人からのいたずら電話かと思った。

 「あのお、この番号、登録されていないんですけど?」

 聞こえたのか、聞こえなかったのか、電話の主はそれには答えず、話し始めた。
「高校時代の清原和博画像」の画像検索結果
 「ありがとうございました。感動しました。ただ、それだけ伝えたくて電話しました……。涙が止まらなかったです……。1日に、何度も何度も読んでいます」

 受話器の向こうの声が震えていた。私は携帯電話を手にしたまま、デッキへと移動した。

甲子園特集号は、清原への思いで始まった。
 810日に発売されたNumber「甲子園最強打者伝説」号は清原和博に捧げられた特集だった。巻末の松井一晃編集長による「編集後記」が全てを表現していた。

 『拝啓 清原和博さま

 1985年の夏、高校一年の私は父のクルマの中で編入試験の合格発表を待っていました。ラジオからPL対宇部商の中継が流れています。「ここでキヨハラが打ったら、オレも受かる……」。次の瞬間、あなたはホームランを打ちました。甲子園はキヨハラのためにあるのか――。次の打席も、あなたはホームランを打ちました。以来、あなたのホームランに、一体どれだけ励まされつづけたことか。
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 今回、PL時代にあなたが甲子園で打った13本のホームラン、その対戦相手すべてに話を聞きました。みな、あなたと真剣勝負をした記憶と、あなたと同時代に生きたことを誇りにしておられました。あなたが野球に帰ってくるためにできることはないか考えておられました。

 この特集記事は、あなたに励まされつづけた私たちからのプレゼントです。

 あなたが、再び小誌の誌面に登場する日が来ることを私は信じています』


◆甲子園で清原にホームランを打たれた男たちを訪ねて。
 高校時代、自らの願いを清原に託し、そのホームランに励まされた編集長の想いから企画が始まった。甲子園の英雄が覚せい剤取締法違反で有罪となる中、清原にホームランを打たれた投手たちを訪ねる。私はこの「清原和博 13本のホームラン物語」を担当することになった。高校野球が最も熱かったあの時代、怪物に挑んだ男たちを探す旅が始まった。

 母校、地域の高野連、友人、知人……。様々なルートから11人の男たちの消息を追った。今だからこそ清原を語ってほしい――。彼らへの願いは1つだったが、正直、固く閉ざされた扉をイメージしていた。断られることは覚悟の上だった。だが、私の予想に反し、彼らは迷わず、清原と自分の人生について語ってくれた。

 8月に入り、雑誌が発売された。多くの反響が編集部に届き、書籍化(『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』)が決まった。私は再び、彼らに会いに行くことになった。甲子園の後、清原のホームランがいかに自分の人生に影響してきたか。彼らの告白はさらに心の奥深くへと進んでいった。
なぜ30年以上経っても、清原の記憶は消えないのだろう。
 私が追ったのは、他人の頭の中にいる清原和博だった。甲子園で戦った元球児たちの記憶だけが頼りだった。清原本人と面と向かって話したことはない。たいてい、そういう人の像を結ぶのは難しい。1度たりとも見たことのない風景をスケッチしろと言われているのと同じで、限りなく頼りない線になる。目を見て、声を聞いて、言葉を理解して、心を覗いて、初めてその人らしきものがようやく描ける。そういうものだと思っていた。

 だが、清原は違った。甲子園最多の13本塁打を目撃した11人の男たちが語った言葉はブレることなく、強く、迷いのない線でその人物像を結んでいった。不思議だった。

 なぜ、30年以上経っても、清原の記憶は消えないのだろう? 

 彼らの記憶の中にいる清原は怪物であり、泣き虫だ。傍若無人であり、義理人情に厚い。つまり、強くて、弱い。そこに人を惹きつける「体温」がある。きっと、そのせいなのだろう。鮮明に浮かび上がってくる、あの頃の清原を描きながら、私は思った。

 彼らは清原が正しいと言っているのではない。清原の「罪」を許せと言っているのでもない。ただ、あの頃の清原が好きなのだ。自分たちが好きだった頃の記憶を30年間ずっと胸にとどめ、今、そこに戻ってこい、と訴えかけていた。
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◆電話の声は、甲子園について、野球について語った。

 新幹線は街の灯りを追い越しながら走っていた。デッキには列車が風を切る「ゴォォォ……」という音が響いていた。電話の声は10分以上にわたって語った。甲子園の記憶、野球と今の自分への思い。そして最後にこう言った。

 「謝罪ができないまま、ズルズルときてしまいました。何とか早く、皆さんに謝罪したいと思っています。今は精神的にも、肉体的にも、誰かに会える状態ではありませんが、1日も早く、更生して戻りますから。待っていて下さい……」

 私は電話が切れた後も、そのまましばらくデッキに立ち、外を見つめていた。社会と遮断された暗闇の中から、戦友たちへの感謝を届けたい一心でかけた1本の電話。そこに清原の「体温」を感じた。他人の記憶だけを頼りに結んだ線は、私の中ではっきりと輪郭を帯びた。清原和博へ向けた30年越しの告白は、確かに1人の打者の像を描き出している。そう思えた瞬間だった。(Number Webより)
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人間を更生させるのは、カウンセリングよりも留置所へ入れることよりも、心のこもった言葉や記事なんですね。清原君は間違いなく甲子園球場に育てられた男。頑張ってもらいたいものです。

ki銀次郎

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