2016年12月26日月曜日

清原氏 留置場で読んだ王さん自伝 球界復帰は「今は考えられない」

以下、スポニチアネックスより
◇清原和博氏 事件後初告白

関連画像

同書は王氏の幼少期から現在までの野球人生がつづられた内容。
1985年の西武入団時の会見で、王氏の868本の本塁打世界記録を目標に掲げた清原氏は

「王さんのバッティングに対する意識とか努力とかを目の当たりにし、簡単に王さんのことを言っちゃいけないんだな、これぐらいしなくちゃいけないんだなと思った」としみじみ。

どんな状況からも逃げずに自分のスタイルを貫いた王氏の“哲学”に触れ、自身の思いも新たにしたようだ。

王氏には複雑な思いを抱いたこともあった。85年のドラフト会議で、王氏が監督を務めていた巨人は、早大進学を表明していた同じPL学園の桑田真澄氏を指名。涙をこぼす清原氏の姿がテレビで流れた。その時の悔しさを胸に現役時代を闘った。

87年の巨人との日本シリーズでは、優勝決定まで1アウトとなった時、清原氏はグラウンド上で泣いた。この時の巨人の監督は王氏だった。ただ、遺恨は08年10月の引退試合の時に解消したという。
「王さんが“今度生まれ変わったら一緒に野球をしような”と声を掛けてくれた。僕と同じように王さんもひきずってくれていたんだと感謝の気持ちになりました」と振り返った。

プロ野球界からは逮捕後も、佐々木主浩氏を通して多くの激励の声が届いた。清原氏は「自分の孤独感で勝手にスレたのに、逮捕されても見捨てず心配してくれた。その人たちを裏切ることはもうできない」。野球界復帰については「今は考えられない」といい「自分の薬物治療のために野球をするのは、野球に対して失礼。これからは野球と向き合えるように日々努力していきたい」と語った。

 清原氏へのインタビューの模様は29日のTBS「ニュースキャスター 芸能ニュース2016決定版」(後9・00)でも放送される。

清原和博氏は留置場で、王貞治氏の自伝「もっと遠くへ」を読んだことを明かした。王氏の著書を読むのは初めてだったという。
スポニチアベックスより

(><)
「逮捕されて一番初めにメッセージをくれたのが佐々木主浩。留置場の中でありがたかったし、感謝の気持ちでいっぱいでした」。彼との約束だからこそ、更生への第一歩として右脚と左胸の入れ墨を消すことも決めた。「判決後、一緒に食事をした時に“消すべき”と言われました。佐々木は、友達というだけで情状証人に立ってくれた恩人。“消す”と伝えました」。佐々木氏が手配してくれた病院で、来年まず右脚の入れ墨を消す準備を進めている。

という記事も目にしました。改めて王貞治さんの凄さを知りました。清原君が「簡単に王さんのことをいっちゃいけない・・・」ここに気づいたことが今度こそ更生につながるのではないでしょうか?

そして佐々木主浩という友人の存在。スポーツで真剣勝負したライバルであり友人が、清原の人生にここまで関わってくれる。戦友というのは本当にありがたいものです。

ki銀次郎

0 件のコメント:

コメントを投稿