2015年10月26日月曜日

◆監督(「コーチの神髄」名取保)

わたしは高校時代に硬式野球部、大学時代はアメリカンフットボール部に在籍していました。
大学時代の監督さんは自営業と掛け持ちで毎週日曜日にグラウンドへ来て我々を指導してくれました。


アマチュアスポーツの監督業は、計り知れない自分の時間、仕事、家族を犠牲にし、その上に「強くする」あるいは「勝つ」ことにこだわるわけである。
そこに一切「妥協」という文字があってはならない。自問自答する苦しみと戦う毎日なのです。




その一切を妥協せず、全力で我々に愛情と厳しさというエネルギーを注いでくれた、当時の名取保監督に34年経った今、やっと会うことができました。



我々も学校を卒業して就職し働いてきた。それぞれに結婚、離婚、転職、病気、いろいろな難関はあったはず。それでも悩むことなくひたすら前を向いて歩き続けることができたのも、1日1日、少しずつ少しずつ我々を強くしてくれた名取監督のお蔭なのだ。




当時どんなことを思って我々を鍛えてくださったのか、話を聞くことができました。


名取監督は桜美林大学アメリカンフットボール部創部1期生である。
試合は4年生主体で構成されたチームを相手にするわけなので、できたばかり、部員は全員1年生のチームが勝てるはずもなく、2年間悔しい思いをさせられたと名取監督はいう。


監督就任3年目、わたしたちが入部2年目の秋期リーグ戦から優勝するチームとなった。
強いチーム作りへのこだわりを聞いてみると、創部時代の2年間1度も勝てなかったその「悔しさ」ただそれだけ、「負けたくない」ただそれだけだという。



今回話を聞いて改めて確認したことは、負ける悔しさ「なにくそ!」これに勝るエネルギーはないということです。
自分もそうでした、社会人チームに入って、同じチームの先輩に何気なくいわれた一言「桜美林って弱いよな」この言葉に火をつけられ、負けるものかという「意地」が生れた。



34年経ったいま、その話を名取保監督にしたところ
「お前にそういう言葉を投げた先輩に感謝しろ、おかげでお前は成長できたのだ」といわれました。



恩師は常にわたしの上にいるんですね。
「コーチの神髄」を人の形にした名取保監督。
わたしはこの人と出逢えたことに感謝したい。
そして今日ここに集まってくれた先輩1名、後輩1名、同期の仲間に感謝いたします。


名取監督に「ありがとうございました」この言葉をわたしが死ぬ前に言えたことが、ひとりの人間としてなにか全うできた、そんな気がしています。 
みんなありがとう。

ki銀次郎

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