2016年11月22日火曜日

ゴルフの見識

スコアアップの妙薬
理想のスウィング追求より、
心で上手くなる本


菊谷匡祐



◆3パット
一般のアマチュアゴルファーにとって、3パットは日常的・自然発生的現象である。いわば、属性だといってもいい。ラウンドすれば必ず生ずる出来事、アマチュアゴルフの通奏低音なのだ。


古来ゴルフ界では
「3フット(=フィート)を制するものは世界を制す」
といわれてきた。


3フィートのパットを100パーセント確実に入れることができれば、世界一になれるというわけである。たった3フィートパットを、だ。


念のために断っておくが、これはド素人のゴルフの領域での話ではない。プロフェッショナルやトップアマチュアが戦う、ナショナル・オープンというレベルでの格言なのである。1メートル足らずのパットを外し、九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に虧(か)いてビッグタイトルを逃がした名手たちの、涙の果ての述懐なのだ。


3フィートのパットはそれほどまでに難しいのである。アマチュアゴルファーが入らなくて、何で不思議があるか?


アマチュアのゴルフにおいて10メートルという距離は、すでに完全なる3パット圏内である。5メートルでも、十分な3パット発生圏であるといえる。グリーンによっては3メートルだって危ない。

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それゆえ、10メートルはもちろん、5メートルの距離を2パットでホールアウトできたら、ほっと安堵して満足すべきファインプレーだといっていい。


ゴルフは長い目でみればラッキーとアンラッキーとは相半ばする―と、幾多の名手たちがいっている。が、18ホールという行程においても、ラッキーとアンラッキーは釣り合いがとれているといえなくもない。


短いパットを外した代わりに、長いパットが入る。ボールがマウンドで不運なキックをした一方で、林に飛び込みそうだったのが木に跳ね返ってきたりするのである。


禍福はあざなえる縄のごとしなのだ。


俗諺(ぞくげん)は、人生の心理を深く鋭くついている。ゴルフにおいてもまた、その例外ではない。


それにしても奇怪なのは、ゴルファーがパッティングが下手なことを、ショットが巧くいかないことに比べ、恥じないという事実である。スコアの乱れをパットのせいにするのが、その証しである。だから、いつまでも上達しないのである。


■3パット■
ビギナーにとっては日常茶飯事であり、上級を目指すゴルファーにあっては、スコア・メイクに重大な影響をあたえる不俱戴天の敵。が、摩訶不思議なことに、スコアを大きく乱した際には、不慮の災難のごとくに自己の責任ではないといい訳にされ、スコアがよい場合には、もっといいスコアが出るはずだったのに、制動装置として作用したと怨嗟の対象にされる、人災なのか判然としないハプニングのこと。

【九仞の功を一簣に虧く】
高い山を築くのに、最後のもっこ1杯の土が足りないために完成しない。長い間の努力も最後の少しの過失からだめになってしまうことのたとえ。

【禍福はあざなえる縄の如し】
災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。
成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということのたとえ。

【不俱戴天】
この世に共存できない、どうしても許せないと思うほど深く恨むこと。ぐふたいてん。

(><)
私は文学には全く縁のなかった人間なので、「九仞の功を一簣に虧く」とか禍福はあざなえる縄の如し」という言葉を今日はじめて目にしました。このような言葉は後世に残さなければならないような気がしました。


私はメモ帳に記入して、覚え使おうと思います。
ki銀次郎

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