市来さんは北京オリンピックの野球のジャパンチームのトレーナーとしてベンチ入りするほどの方でした。
私たちがライスボウルに出場する合宿では、宿舎に来て複数の選手を夜中までマッサージや治療をしてくれました。
あるときこんな質問をしました。
「市来さんはどうしてボランティアで我々のチームのトレーナーをしているのですか?」
と聞くと市来さんはこう答えてくれました。
『同じ箇所のケガでも、まったく同じケガは存在しない。僕はトレーナーとして一つでも多くのケガを見て勉強したい』
私はこの言葉を聞いて返す言葉が見つかりませんでした。
1990年8月22日、ある陸上部の合宿に参加し、北海道の空港へ向う途中に交通事故にあい他界されました。
http://www.asahi-net.or.jp/~MU2M-MSJM/stadium/works/olympic/tochu/040829.html
あるときトレーナーの卵に会ったときに、「亡くなった市来さんというトレーナーを知っていますか」と聞くと、
『市来さんはトレーナーの神様と呼ばれています』という声が返ってきた。とても嬉しかった。
生きていたらロンドンオリピックで市来さんの姿を見ることができたはず。
と思いながらオリンピックを見ていました。
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