2014年11月18日火曜日

あなたに似たゴルファーたち(伊集院静)

ゴルフは絶望のくり返しであるとは、
プレーヤーなら誰もがしっている。

それでも私たちは、
次の日曜日にはバッグを担いで

近くの練習場に出かけていくのである。





“あとがき”
ゴルフなんて、たかが遊びだろうという人もいる。
しかし、私は遊びを覚えることが、その人を救済することもあると、この頃思うようになった。



私はゴルフをする人が好きである。
嬉しそうにその人が笑っている姿を見ていると、
こっちまでしあわせな気分になる。



私自身は20年近くゴルフをやってきて、しあわせな気分になったことはほとんどない。
ただ誰かのプレーを見て私がうなずくように、私のゴルフを見た友なり親しい人がうなずいてくれるプレーヤーになりたいと思う。



近頃、ゴルフ場で雨天や風の強い一日に遭遇すると、頑張ってみようという気持ちになってきた。
むかい風にむかってボールを打つ時、誰かが自分のプレーをじっと見守っている気がする。



避けないで、
誤魔化さないで、
真直ぐプレーをして行こう。
遊びであるからこそ、
品格を失わないようにと・・・・・

少し大袈裟な文章になったが、これは正直な気持ちである。
伊集院静

“解説”
伊集院の歯切れのいい文章は爽やかなゴルフ小説に合っている。
ゴルフはボールの生死の運命を弄ぶゲームなのである。
ゴルフは人生の縮図かもしれない。



ある日、スコットランドのリンクスのキャディがわたしに言ったことがある。



「ゴルフはスコットランドで誕生して、アメリカに渡りダメになり、日本に行ってさらにダメになった」
じつに含畜ある言葉である。



どうして日本人はいまだ親睦コンペのとき、6インチプレイスをお互いに許しているのだろうか。



一度ティーから放たれたボールは、
そのボールの運命のドラマを愉しまないとゴルフの神髄はわからない。



バブル時代、日本人の成り金たちがゴルフの聖地、セントアンドリュースで6インチプレイスをやってプレーしたらしい。
だからそれ以来、日本人にプレーさせないように、バロットというくじ引き制度を考えだした。



日本人のティータイムは翌日にならないと決まらないのだ。
これはわが日本人ゴルファーの身から出たサビであるが、いまからでも遅くなはない。



日本人のゴルファー全員があるがままの状態でボールを打つべきである。



ゴルフ好きだった昭和天皇は大事なことを仰っておられる。
「ゴルフは素敵なスポーツであるとわたしは思う。なぜなら、ゴルフの審判は各人の胸のなかにいるではないか」
これぞまさに帝王学である。
島地勝彦

(><)
先日もコンペに参加してきましたが、残念なことに6インチプレースのルールでした。
「あるがままに打つ!」これがゴルフの基本中の基本です。



「ゴルフはスコットランドで誕生して、アメリカに渡りダメになり、日本に行ってさらにダメになった」
これとまったく同じ文章を別の本で目にしたことがあります。
本当に残念なことです。
信用を挽回するのは、私たちひとり一人の責任ではないでしょうか。



何事もうわべだけをカッコつける大人は多い。
「遊びであるからこそ品格を失わないようにと・・・・・」
遊びをかっこよくできる大人ってかっこいいと思います。



やっぱりそこには誤魔化しのない真直ぐに向き合う姿勢みたいなものが存在しますよね。
カッコいい大人の男になりたいですね。
磯辺銀次郎

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