2014年12月2日火曜日

しない生活(小池龍之介)

つながりすぎない、イライラしない
言い訳しない、せかさない、比べない


ときどきこういう文章を読んで、
自分をみつめなおす時間も必要かも?

ki銀次郎




“相手を屈服させて自分の価値を実感するという愚かしさ”

プライドという煩悩から心を守るお稽古をしてみましょう。
私たちの心はささいなきっかけがあれば、よけいな情報を頭の中でこねくり回してしまうもの、と申しましたが。



プライドが傷つくきっかけも、ほんのささいなことでよいのです。
たとえば恋愛や夫婦関係において二人で一緒になにかしようとするとき、
誘うのはいつも自分のほうからで相手からは誘ってくれないとなると、
愛されているのか不安になりがちでしょう。
背後ではプライドが傷ついているのです。



職場でアドバイスしたのに従わない後輩を「ダメな人間だ」と怒るにしても、その背後では「この後輩にとって私の価値は、助言に従おうと思ってもらえない程度の低さなのか・・・・・」と、プライドが傷ついている。



これらの例では、相手から誘ってもらえたり、助言に従ってもらえたりするほど、自分の価値=魅力=力が強いのだと実感できるからこそ、そうでない現実に心が乱れるのです。



自分の力を示したい、というプライドの煩悩が強すぎるほど、
私たちはちょっとしたことで傷つき、怒るハメになります。



実は、今の世にあふれるモンスター・ペアレンツもクレーマーも、
ネット上にたくさんある匿名での悪口も、相手をボコボコに叩いて屈服させることによって「自分は価値=力がある」と
錯覚したいというプライドが原因だと思われます。



学校や企業や有名人へのクレームは、される側は失うものが多いため、
ほんのちょっとした過ちでも「すみません、不手際でした」と
屈服せざるをえないですからね。



必ず勝てるのが決まった、
つまらない戦いなのです。



そんなひきょうな戦いを挑みたくなるほど心が慘めになる前に、
自分の価値をつり上げたくてしょうがない愚かさに、
ハッと気づいてあげましょう。
小池龍之介


(><)
人との会話や会議の席で、つい自分を主張してしまう。
それはつまり、“自分の価値をあげたい”“自分の力を示したい”
そういう気持ちは自然に働くからなのでしょう。



改めてそのメカニズムをここで知っておくことで、
自ずと言動や行動は変わると思います。



また、取引先や上司に理不尽な権力を振るわれたとしても、
この人は「自分の価値を上げたいんだな、力を示したいんだな」
ということがわかっていれば、自分の心の持ち方や構え方も変わり、
ダメージも和らぐことでしょう。



誘う、誘わない、誘われるでいうと、人間は誘うより誘われる人間でありたい。
ゴルフでもエチケットやマナー、ルール違反をしたり、
同伴者に不快感をあたえていると、黙って誘われなくなるものです。
それも体裁のいい断り文句で・・・・・
ki銀次郎

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