2014年10月17日金曜日

ゴルフ・プレー前夜に読むクスリ 夏坂健

レッスン書を読まなくてもうまくなる法




『57歳にして関西プロ制覇、杉原輝雄が舌を巻いた集中力』


1935年の年末から翌年の春にかけて、戸田はアメリカのウインター・サーキットに参加する。
手はじめにサンタ・カタリナ島オープンに出場、5位に入って300ドルを稼いだ。
幸先のいいスタートだった。



アメリカ本土に渡ってからも毎週のように賞金を手にする活躍ぶりだったが、それよりも戸田が演ずるパンチショットに人気が集まった。



戸田の打ち方は左手の甲が地面を向いて降りてくる。
インパクトでは右手で強烈にボールを叩くが、それで終わり、バシッとぶつけてフォローもとらず、それでおしまい。



ところが打球は最初に低く飛び出し、次第に加速しながらぐんぐん上昇してなかなか落下せず、その美しい放物線がアメリカのプロたちを唸らせた。



ゴルフの鎖国ともいえる日本を飛び出した戸田にしてみると、実際に自分の目で確かめる外国人プロのスウィングは、まさに生きているお手本がごろごろ転がっている感じだった。
彼の日課は、連中のスウィングを盗むことに費やされた。



ボールを打つのは右手か左手か。この真理をつかむまでは日本に帰らん覚悟やった。一流ゴルファーを観察するうちに、たしかに左でスウィングをリードしていることがわかった。まず左脇を締め、左腕でクラブを振り上げ、左手一本の感じで振り下ろしてくる。ところがインパクトの瞬間、ちゃんと右手で叩いとる。



そうかッ!インパクトまでは右手はお休みさせといて、叩く、フォロースルーの段階で右手が仕事する、それがわかったんや。



つまり左手はハンドル、右手はエンジン、ゴルフはまず手をしっかり振らなボールは飛ばんのや。
ごちゃごちゃ体のこと考えんと、まず手をしっかり振るのがゴルフや。



右手でパチン!
これがわかった。
そしたら信じられんことに100ヤードも飛距離が伸びおった。



戸田の選手生活の長さには、正直おどろかされる。
昭和8年に関西オープンで初優勝したのを手はじめに、
14年、38年には日本オープンを制し、55歳で関西プロに勝って、たぶんこれが公式戦最年長記録になるだろうといわれた2年後の昭和46年、関西プロの最終日に5打差をはねのけて18番ホールで杉原輝雄に追いつき、プレーオフの末に優勝をさらってしまった。
このとき戸田は57歳であった。



打って打って打ちまくる。



ボールから30センチだけまっすぐ引いて、十分手を振りながらボールを30センチ先までまっすぐに振り抜く。
あとは練習や、とにかく打つことがゴルファーの義務や!



これが戸田藤一郎の口ぐせだった。



「プレーオフで戸田に敗れた話を杉原輝雄から直接聞いた。
「ボールに向かったときの集中力、これがみていてゾッとするほどすごい人やった。一瞬、石像のように集中する姿に、まわりの者まで息を止めた。戸田さん以上に集中力のすごい人には、前にも後にも会うことがありません。あの集中力には、いまでも敬意を払ってます。ほんまゴルフは集中力のゲームやと教えられましたわ」
杉原輝雄

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