2016年6月17日金曜日

頑固オヤジへのメッセージ(2)

~「しょうがない」からの脱却~

藤田寛之


専修大学時代は、試合の遠征費など4年間で数千万円はかかっていたと思います。オヤジはごく普通のサラリーマンだったので、借金をしてまで出してくれました。

大学に進学するとき「サラリーマンだから、もしお金が続かなくなったら帰ってこいよ」っておわれていましたが、結局4年間、行かせてくれました。

オヤジは、私がやりたいということに関して反対したことはありませんが、口は出してきました。
『練習してきたの?十分やった?』って聞かれて「十分やってきたよ」と答える。そうすると『お前が十分やったと思っても、他の人は2倍、3倍やっているよ』とそれが口グセでした。

相当な負けず嫌いでもあります。高校1年の終わりの九州大会で、私は手嶋多一さんにプレーオフで負けて2位になりました。次の夏の九州大会は優勝候補と地元の新聞社にも取り上げていただきました。この大会は7位以内に入れば全国大会に行けるのですが、優勝どころか全国大会にも進めませんでした。

帰りの車で私は、しょうがないなって思っていました。ところがオヤジは運転しながら涙を流しているんです。『悔しくないの?負けたものは仕方がない。でも俺は悔しい』っていうんです。

普段は練習しろというオヤジですが、このときは涙を流して悔しいのひと言です。オヤジの涙はほとんど見たことがなかったのでビックリしましたし、感じるものがありました。

(週刊パーゴルフ 2016Vol.23


しょうがないじゃダメなんだ。もっと頑張らないといけないんだって思いました。普段は口を出すけどこういうときは何もいわない。だから心に残るし、私も頑張ろうと思いました。

オヤジが認めてくれるときは、こっぱずかしいです。自分に満足できないメンタルは、昔からのオヤジのメンタルトレーニングが根幹にあると思います。
(週刊パーゴルフ 2016Vol.23

(><)
私が監督を務めた少年野球チームで息子は主将で4番、春、秋の大会では区内22チームの中で1番ホームランを打った選手に成長した。

しかし、中学1年生の夏、入部していたリトルシニアチームを辞めたいと言ってきました。『好きにしろ』としか言えませんでした。

野球を辞めた息子に対し、私は自分の教え方が間違っていたのか、足りないものがあったのか自問自答して苦しむ毎日でした。

それ以来、高校野球もプロ野球もテレビ中継を見るのが辛くなり見ないように生活をしていました。ある事件があって息子が中学1年の冬に一発ぶん殴ってから、今の今までほとんど会話もありません。私も高校1年の夏に野球部を退部しました。私の数百倍野球がうまかった父は、私が野球を辞めたことで愕然としていました。その父と同じ気持ちを何十年も経ったとき私は父と同じ気持ちを味わうことになりました。因果応報がこんな形で私を襲うなんて夢にも思いませんでした。

息子は中学、高校と陸上部に所属していて、大学では私がやっていたアメリカンフットボールをやるといってきました。私の答えは『好きにしろ』でした。
今は大学2年生になり、靭帯を伸ばしたり、指を骨折したりしながら頑張っているみたいです。

大学でアメリカンフットボール部に入ると聞いて私は自分のことのようにとても嬉しかった。息子はいったい何を思ってアメリカンフットボールをはじめたのだろうと思うか。どんなことでもいいから私を飛び越えていってほしいと思う。

ki銀次郎

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