2016年2月16日火曜日

◆近すぎて見えないもの

毎日見ているから見落としてしまうものがある。
何ごとも慣れてくると特別なことが当たり前のことになってしまう。
長い付き合いになってくると大事な人なのに大事にしなくなってしまう。


でも近すぎて見えなかったものが遠く離れることで見えてくることがあって、そんなとき人との出会いや体験する出来事など、自分の毎日が実は「有り難い奇跡の連続」であることに気づく。
 

このことを禅ではこう表現した。
『足るを知る』
つまり、
朝起きたら有り難い、今日も目が見える。有り難い。

今日も耳が聞こえる。有り難い。

今日も歩ける。有り難い。

今日も息ができる。有り難い。

今日も仕事ができる。有り難い。

今日も病気じゃなかった。有り難い。


『足るを知る』
つまり、
今この瞬間が、いかに「有ることが難しいか(=有り難いか)」
「恵まれているか」
そこに気づけるかどうかが、禅の神髄。


自分の周りにあるものを、もう一度よく見つめ直してみる。
当たり前だと思っているもの。一緒にいてくれる人。そこにあることを忘れてしまっているもの。そういうものをよく見ると、そこにあることが当たり前でないことに気づく。


刺激的なこと、特別なことが起きる事が幸せなのではなく、普通の何気ない日常こそが、実はとてつもなく有り難い奇跡の連続であって、幸せなことなのかもしれない。


幸せは探すものでなく、今に感謝することから始まる。

(><)
20年前、椎間板ヘルニアの手術をしたが完治せず、この20年間腰痛に悩まされてきました。腰に痛みのない朝を迎えたい。マッケンジーエクササイズがわたしを救ってくれました。


10年前、交通事故で左足大腿骨を骨折し、手術とリハビリで3ヵ月間の入院をしました。
健康で歩けることに感謝するようになりました。


これからは、目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、仕事ができることへ感謝しながら毎日を過ごそうと思います。

ki銀次郎

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