2016年2月10日水曜日

ゴルフの神様(夏坂健)




◆程ヶ谷ゴルフ倶楽部

1922年(大正11年)創設された名門、程ヶ谷カントリー倶楽部は、駒沢にあった東京ゴルフ倶楽部の分身として建設されたコースである。


駒沢にあった東京ゴルフGCは日本人によってはじめて計画されただけに不満も多かった。最初から井上準之助の個人的手腕に頼ったため、用地も四万八千坪しか購入できず、やがて会員の増加と共に18ホールの再建案が浮上すると、井上の財力目当ての地主たちが結託、法外な値段を吹っかけてきた。時価の五倍近い値段だったといわれる。


「人の足元を見るような連中とは、二度と会いたくない。手分けして別な場所を捜そうではないか」


井上の命令一下、会員たちが走り回って捜したのが現在の第三京浜道路出口付近から三ッ沢に向かう丘陵地帯だった。このとき設計に呼ばれたのがアメリカシカゴ郊外にあるスコーキGCの所属プロ、ウォルター・フォバーグである。歓迎会の席で次のように語った。
「ゴルフは戦略性が高いほど面白い」その言葉通り、ティインググラウンド以外に平坦な場所は見当たらなかった。図面を書き上げた一ヵ月後、彼は十万円の設計料を懐に帰国する。


1967年(昭和42年)になると、戦後の急速な宅地化に対抗しきれず、コースは横浜市旭区に移転する。当初の程ヶ谷は6109ヤード、パー69、わが国初のチャンピオンコースだった。


完成と同時に東京GCがそっくり引っ越す予定だったが、いざ出来てみると不便この上ない。保土ヶ谷駅にはタクシーが一台しかいない。あぶれた連中は人力車に乗るしかなかった。
そこで駒沢の存続が決定され、東京GCは他に新天地を求めることになった。
夏坂健

(><)
このような古い話というか、日本ゴルフ界の歴史をどれくらいの人が知っているだろうか?知らない人のほうが多いのは間違いない。
たまたま読んだ本で、たまたま目にしたことではあるが、ゴルフを愛する人々には記憶に留めておいてもらいたいと思う。
そして次の世代の人たちのも伝えていっていただきたいと思います。

ki銀次郎

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