2015年6月4日木曜日

ゴルフに求められる“待つ力”人生もまた同じ(小針春芳)

◆さても愉しき小春かな



ゴルフのレッスン書にはよく、「左のカベ」という言葉がでてきます。
これは家に例えるなら、土台のこと。
土台なくして柱を立て、屋根をつけたところで、ちょっとした風で家は倒れてしまうものです。



スウィングはほんの一瞬、先に左足から始って、それが上半身の動きにつながります。
右利きにとって、右の力が強いのは道理。



ところが、ここで左のカベで“待てない”と、右が突っ込んで手打ちになる。
実はこの“待つ”というのがゴルフの究極であって、なかなかこれができないから多くの人は苦しむわけです。



これはスウィングひとつに限らず、ゲームも一緒。
たとえばラウンドをしていても、連続バーディとついている人がいるでしょう。




このとき、焦って自分もバーディを狙いにいくと・・・・・。
それで自滅した経験をもつ人も少なくないでしょう。
ゴルフは上がってナンボといいますが、そうそう幸運が続くわけではありません。




反対にツキのなさも、連続するものでもないのです。
このときに大事なのがやっぱり“待つ力”



丸いボールと同様、運もまたコロコロと転がっています。
それが自分のところに来るまで、ひたすら待つ。
実はこれがゴルフの正体ではないかな、と思ったりもします。




待たれるというのは、相手にとってもイヤなものです。
人との待ち合わせでも、待たせられた方はイライラして焦らされるもの。




もちろん約束の時間に遅れることは論外ですが、ゴルフではこのひたすらチャンスを“待つ力”が求められるのです。



ゴルフで勝つには、暴力を使うわけにはいきません。
勝つ唯一の方法とは、ひたすら練習あるのみ。



ゴルフというのは不思議なもので、ある日、突然、上手くなるときがあります。
そのときをひたすら“待つ”以外にはないのです。



もっともゴルフに限らず、人生もまたそういうものなのでしょう。
金や名誉も、追いかけるものから逃げていくような気がします。
結果を追い求めるのではなく、自分のやるべきことをやって、あとは運命に任すのみ。





自分より足の速い人でも、遅い人でも一緒に歩くとどうしても疲れるもの。
唯我独尊、自分だけが良ければいいというのでは困りますが、
唯我独尊(この世で、自分ほど偉いものはないとうぬぼれること。釈迦が生まれたときに七歩歩き、一方で天を指し、他方で地を指して唱えたという言葉と伝えられる)
自分のペースが作れれば勝ったも同然です。



人事をつくして天命を待つ!
なるほどゴルフは人生そのもの。
小針春芳
1921年(大正10年)4月29日、栃木県・那須生まれ。
16歳から那須ゴルフ倶楽部を一歩も出ず89歳の今日に至る。
日本オープン2勝、関東オープン2勝、関東プロ2勝。
戦争で10年ものブランクを挟みながら築き上げた金字塔である。
日本ゴルフの草創記に生まれ、激動の時代を乗り越え築き上げた。

(><)
“待つ力”を養うには普段の生活から習慣付けないと難しいと思う。
駅の階段を降りている途中に乗車方向の電車がホームに入ってきたりすると、階段やエスカレーターを小走りしてしまうだろう。



また歩いていて交差点に差しかかり、進行方向の信号の青が点滅すると急いで渡ろうと小走りになりませんか?



私はゴルフをはじめて“待つ力”が必要だと知ってからは、ホームに電車が入ってきてきても走ったりしないようにしています。
「このままのスピードで歩いていって乗れれば乗る、乗れなければ次の電車に乗ればいい」



また交差点では、車を運転しているときは黄色信号では絶対にアクセルは踏まない。
歩行していても、青信号が点滅して赤に変わろうとしている場合も、以前は走ってでも渡っていましたが、今は止まって青になるまで待つように自分の習慣を強制して生活しています。



ゴルフをはじめたころ前の組が滞り待たされたりするとイライラしたものでしたが、最近は待つ時間も同じゴルフ場内での時間なのだから少しでも楽しもうと思うように努力しています。



待っている間に“目土”をする。
ディボットの芝に「来年元気な芽を出してくれよ!」と心で唱えて砂を入れる。
砂を入れないと味わえないおだやかな心。
こんな楽しみをゆったり味わうのもゴルフという競技ならではないでしょうか。

ki銀次郎

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