2013年8月22日木曜日

“考えない練習”(小池龍之介)

“考えない練習”
昔から「カラダで覚えろ」という言葉がありますが、私はカラダに指令を送っているのは「脳」だという意識が強く、少年野球を指導する機会に恵まれたとき、「脳」をテーマとした練習方法をいろいろと勉強しました。

そのときに目に止まったことが以下の文章でした。
“考えない練習”
この訓練はゴルフの上達にとても関連性があるとおもいます。
少々長い内容ですが、省略してしまうと全てが伝わらないのでそのまま載せます。
興味のある方はどうぞ読んでみてください。


“考えない練習”
私たちが失敗する原因はすべて、余計な考えごと、とりわけネガティブな考えごとです。
失敗する原因は「すべて」「です」と言い切ってしまっているところが、期待感を抱かせてくれます。

まず当たり前の話として、スポーツ等で集中が必要なときに、
余計な考えごとをしていると、失敗します。

次に、仕事でも、考えてもしょうがない思考に邪魔されて、効率が
落ちているのは、GTDで集中力が増した実感を得たことのある人なら、よくわかると思います。

「この仕事、あとどれくらいで終わるかな。ホントにこの仕事やってて良かったのかな。もっと先にやっとかなきゃいけない仕事があったような気がするな。先週金曜日に課長になんか言われたんだよな……」というのが、
余計な考えごとです。
そんなことは仕事を始める前に充分考えておくか、課長に言われた時にメモしておけば良かったのです。

それから、何も考えずに作業を始めれば、何ら苦痛を感じることなく終わる作業なのに、ちょっと一呼吸入れたばっかりに、
「ああ、めんどうくさいなあ。明日まとめてやろうかなあ」と考えてしまって、動けなくなる。

さらに、事前には「セックスしたいしたいしたい」と考えていたはずなのに、終わってみたら、全然満足してない。
というか、どうでも良いこと考えながらテキトーなセックスをしてしまっていた。とか、いつも「何か食いたい」と思いながら、実際に食う時にはテレビ見ながら飲み込んでいて味を覚えてない。とか、要するに集中して味わってない。

これらはすべて「脳」という器官のヤクザな性質のなせる業なのです。もともと「脳」は、生命の危険を避けるため、恐怖や危機感を見逃すまいとしています。(だからゴルフの場合OBや池に入れてしまう)

それに対して、幸福感や穏やかな気持ち、五感から来た電気信号の中でも変化のないものは、スルーしてしまうのです。
飢えや性欲は長時間続きますが、味を感じる幸せ、射精感は一瞬で終わります。

食欲や性欲は、それがなければ必死で行動しないから強く、幸せはずっとそれに浸っていては危険なので、一瞬で終わります。

そして「脳」は、五感から来る情報に対して、データベースができあがった(大人になった)後は、割と判断が速くて、「ああ、以前のあのときと同じだな」と、すぐに飽きてしまいます。

逆に、脳内で過去のデータベースを元に作られる、
特にネガティブな情報に対しては、「大丈夫かな? 危険じゃないかな?」と、長いこと考え続けちゃうんです。「一切皆苦」ですな。

「考えない練習」では、五感を研ぎ澄ませて「思考病」を治そうとします。
GTDでは、信頼できる脳外装置に心配事をすべて吐き出すことによって、脳がクリエイティブに働くようにします(GTDストレスフリー余計なことを考えない)
余計なことを考えないことが重要なのはわかりました。
でも、人間ってもともと余計なことを考えるようにできているってこともわかりました。
余計なことを考えてしまうのは、もともとの「脳」の性質なんだよ。

だから「考えない練習」をしましょう、という話でした。

でも、本当に考えなくて良いの?考えるっていうのは人間にしかできない素晴らしいことなんじゃないの?
まず、考えなくちゃいけないことと考えなくて良いことを、ちゃんと分けましょう。

昔と違って、今は、物理的な生命の危機なんてめったになくて、その代わり別のストレスがいっぱいなので、もともとの脳の性質のまま、本能のままに「脳」を使っていては、幸福感は得られません。

そして、「考えてしまう」のは、自由意思で行っていることではないと認識することが重要です。

気がついたら考えてしまっている。というのは自分の意思で
「考えよう」と思って考えるのとは別だ。というのは直観的に理解できると思います。でもそれだけの話じゃなくて、そもそも、自由意思なんてものがこの世に存在するのか? という話です。

池谷裕二の『単純な脳、複雑な「私」』という本に、結論に近いことが書いてあって、是非読んでほしいのですが、要するに、自由意思なんてものはないのです。

あるのは「自由否定」だけ。
環境が脳の「ゆらぎ」を決めてしまって、それに反応して動いているだけなのに、自分の意思で行動していると勘違いしている。

つまり、ただの「反射」なのに、自由意思だと思っている。

でも、この「反射」のあと、実際に行動するまでの間にはタイムラグがあって、その間に、ぼくらは、反射を否定することができる。もし自由意思があるとしても、これだけしかない。

「考えてしまう」のは、自由意思じゃなくて、反射。
その反射を否定することが、自由意思。

だからやるべきことは、悪い反射を否定して、良い反射を増やしていくこと。

つまり、余計なことを考えない練習です。

環境から反射的に、勝手に、自動的に「考えてしまっている」ことがあって、そんなのは自由意思じゃなくて、逆にそれを否定することこそが自由意思なんだよと。

だからそんな余計な考えごとは、安心して捨てちゃいましょう。
自然なままに任せてちゃ、今の世の中生きにくいですよ、という話でした。

余計なことを考えているせいで、幸せを味わえてないだけ。
野生の動物は、一生懸命食料を得ても、それを味わえるのは一瞬。まして、ラクして幸福感をずっと味わえる方法なんて、あるわけがない。(人生も同じ)

一瞬しか味わえない、貴重な幸福感を、集中して、他の余計なことを考えずに味わうこと。

仕事にしてもダイエットにしても、一気に大きな成果が得られて以後ずっと幸せ、なんてことはない。

毎日少しずつ得られる充実感、達成感を大事にしていくしかない。

本当はすぐ近くにいる幸福の青い鳥に気づかずに、どこか遠くに青い鳥がいると思いこんで、一生懸命走り回っている。それが自分だったなあと思うのです。

余計な考えごとのパターンって、すごく個人差が大きいと思います。過去に自分が繰り返したパターンや、環境や身体の状態によって、反射的に余計なことを考えてしまっているのだ、ということをとことん理解する。

そして自分は、そういった反射に拘束されている不自由な状態であることを自覚しないといけない。

自由になるには、自分を拘束している反射のパターンを理解して、余計な考えごとを捨てていくこと。
だと思うのです。

小池龍之介

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