2013年8月8日木曜日

“清潔で綺麗に着ること”(伊集院静)

“清潔で綺麗に着ること”


明治時代に正岡子規という文学者がいた。
夏目漱石と同じ歳で親友でもあった。


35歳で亡くなったが、この人が20歳前後の時、当時、日本に渡ってきたベースボールに夢中になった。
朝早くから日が落ちるまで白球を追い続けた。



若き正岡子規の颯爽とした野球のユニフォーム姿の一枚の写真が残っている。
バットを手に写真館で与ったものだ。



その写真を一目見て、私は思った。
正岡子規は案外と野球が上手かったんだ。
正岡子規の野球の腕前のことはどの資料をあたっても記述してあるものはない。



しかし私にはそう思えた。何がそう思わせたのか?
ユニフォームの着こなしである。



私はいっとき高校野球の監督代理をしたことがあった。
グラウンドに入る選手のユニフォームの着こなしを見ると、だいたい力量がわかった。
その勘はまず外れない。



上手く説明しようがないのだが、敢えて言えば、野球ができる風情が漂っているのである。



全英オープンの最中、上京している私に家人が松山英樹の戦況を2、3ホール毎に報告してくれた。
その折、今日(2日目)の英樹君のウェアは気持ちがいいくらい綺麗です、と報告が入った。


東京で深夜テレビを見てみると上下、真っ白のウェアがいかにもみずみずしく美しかった。

見映えがした。

私がゴルフをはじめた時は手ほどきをしてくれた老人が、
『ズボンは古いスーツのものを穿きなさい。できればダブルがいい。シャツはゴルフウェアでいいが、派手な色はやめろ』と言われた。
今もそれを守っている。
清潔で奇麗であればそれが一番いい。
伊集院静(週間パーゴルフ 8/2027号より)




(>_<)
高校時代は野球部で、伊集院静さんが感じたことと同じことは体験している。

大学時代アメリカンフットボールの試合前日に必ずしなければならないことがあった。

それはピカピカに磨いた真っ黒なスパイクに、新品の真っ白な紐を通すこと、試合当日は膝したまでの真っ白なソックスをはくことだった。

アメリカンフットボールの試合は、どんなに雨が降っていても雪が降っていても、
雷が鳴らないかぎり試合は中止にならない。

雨の日の試合、真っ白な靴紐とソックスは控え室からグラウンドへ出たとたん泥水で真っ黒になってしまう。

私は疑問だった。
雨の日に一瞬にして泥まみれになってしまう靴紐とソックスをなぜ真っ白な新品を使用するのか理由がわからなかった。

当時、私が1年生でその時の4年生のキャプテンに教えてもらった答えは、
『試合は戦争と同じ、負けるわけにはいかない。紐が切れて主力選手が交代した、たった一つのプレーで試合に負けるわけにはいかない。そして真っ白に拘るもうひとつの理由は、相手(敵)に対する礼儀だと教えられた』

試合当日、現地の試合会場で紐を通しているところを先輩に見られたらぶん殴られる。

紐を通すのは限って試合前夜に自宅で行う。
降りしきる雨の音をききながらスパイクに紐を通していると、
心の中で明日の雨の中の泥試合への覚悟が段々整っていく。
この行為こそ目には見えない強さを与えてくれていたに違いない。

残念ながら現在母校のチームでは、この行為は行われていない。

私はゴルフ練習場へもコースへ行く格好と同じ格好で行くことを心がけている。

客観的に他人を見ると、スニーカー、Tシャツ、短パンで練習している人を見てもカッコよくは見えない。

私はゴルフはそんなに上手ではないが、きちんとした格好をして練習していると、練習場で質問を受けたり声をかけられることが多くなったのは事実である。

ある先輩からこんなことも言われた。
『自分がきちんとした格好をするのは、同伴者のためなんだ』
私はこの言葉を聞いてから、妻や母とでかけるスーパーマーケットに、短パン、Tシャツ、ビーチサンダルで行くことをやめました。
ジャケットまでは着用しませんが、長いパンツを履いてローファーなど革靴を履くように心がけています。
ki銀次郎

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