2015年9月18日金曜日

~もし本当に上達したいなら・・・・・~

上昇志向のゴルファーに捧げる!
球を打っているだけではゴルフは上手くならない。ゴルフの上達には“心のあり方が重要だ”と思っている方であれば必見!
そうでない方には残念ながら何をいっているのかさっぱりわからないかもしれません。


「もし本当に上達したいなら」という条件つきですが、以下に掲載した内容を実行してみてはいかがでしょうか。
もっと味わいの深いゴルフプレーを満喫できること間違いありませんよ。
ki銀次郎
 
◆30cmのボギーパットも、2mのバーディパットを打つときと“同じ気持ち”“同じ緊張感”“同じアドレス”“同じリズム”“同じ集中力”で打っているだろうか?いつもやっていることほど狂いは生じない。
だから同じことを同じように実行できる習慣をつける。


“まぁ、いいか”という安易な気持ちで30cmのボギーパットを打っていないか?
この30cmのボギーパットは、自宅から80km離れたゴルフ場に来なければ打つこともできなかった30cm。


お天道様の下へ、この仲間と一緒に来なければ“打つことのできない”30cmのボギーパット。
感謝の気持ちをもって打つことが上達へと導く。
“まぁ、いいか”という安易な気持ちで30cmのボギーパットを打っていては、ゴルフのあらゆる局面に緩んだ自分が顔をだす。

◆自分の歩く姿は美しいだろうか?胸を張るのではない。背筋を伸ばして速くもなく遅くもなく中庸で“美しく”歩いているだろうか?


歩くテンポ=スウィングテンポ。歩くリズムが一定ならばスウィングリズムも一定になる。歩き方の美しさはスウィングの美しさにあらわれる。そしてあなたをカッコいいゴルファーに見せてくれる。カッコよく歩きましょうよ。


◆ここぞというパットだからといって、グリーン上を必要以上に歩いていないか?毎回やっているならそれは論外。
少々ゴルフに慣れてきたり、少々仲間内で上手くなってくると、自分がプロゴルファーにでもなったかのような驕りをもって、不必要にグリーンを行ったり来たりするようになる。


ダラダラと時間をかけてラインを読み、読んだ挙句に入らない。時間をかけたぶん悔しさも大きく湧きあがる。


せっかく1番ホールから作り上げ重ねてきたいいリズムを、自分の行為で壊していることに気がついていない。


ここぞというパットだからこそ“サッと”打つ。
外しても平静を保つ心に余裕を持つ。
そういう“余裕あるゴルファー”にならないことには、今以上の上達は望めない。

 
◆ボールマーカーは大小1個ずつ(計2個以上)持ってプレーしているか?
万全を期すのであれば同伴者人数分のマーカーがポケットに入っているか。


これは同伴者への思いやりと、
グリーン上でのプレイファストにつながる行為の一つだということを理解しているだろうか?


パーティ全体に無駄な動きをなくし、自分の心にもいいリズムが宿る。


「あっ、マーカーがない」“まぁ、いいか”とティペッグをマーカー代わりにグリーンに刺しているプレーヤーには、同伴者への思いやりがないという表現なのだ。


また、“目土”をすることをゴルファーのエチケットだと自分自身で認めているならば、スルー・ザ・グリーンでのすべてのショットのときに、砂を使う、使わないに関わらず毎回目土袋を持っていく自分がいるだろうか?

ラフだから“まぁ、いいか”面倒だから“まぁ、いいか”とあいまいな行動をとっていないだろうか?


ショットが乱れると気持ちも乱れ、普段やっている目土をやらなくなる。“まぁ、いいか”と簡単におろそかにして楽になろうとする行動こそ、ゴルフのここぞという局面において顔を出してしまう。

もっとも目土をしないゴルフプレーヤーには全くもって関係のないはなしである。
断っておくが目土を強要しているわけではない。また強要されてするものでもないだろう。


◆同伴競技者(3名)の全てのプレーを静止して見る自分を完成させているか。


ティインググラウンドだけでなくスルー・ザ・グリーンにおいても同伴競技者の全てのショットを見守る。そしてロストボールさせない。


同伴競技者にロストボールさせないことが、自分のプレーのリズムをつくる。
「自分も疲れてきたし、同伴者の球を探すのは面倒だ。探さなくても“まぁ、いいか”」という気持ちになっていないだろうか?
ゴルフは大変な作業なのです。
 

◆距離は自分で目測しているだろうか?グリーンの奥が抜けていると遠くに見え、木に囲まれたりしていると近くに見える。


逆光と順光では距離がどう違って見えるかだとかが、本当の自分の知恵として身に付いてくる。


距離を間違えたショットをしたら、それは自分が未熟だと考えなくてはならない。
もっと大事なことは、こういう修練を通じてゲームの運び方まで上達していくという点なのだ。


◆迷ったときには安全をとるのが、ゴルフの鉄則である。林から脱出するとき無理を承知で“まぁ、いいか”狭いところを狙って痛い目にあう。


失敗に腹を立て自縄自縛におちいる。
ミスを挽回しようとして無理をする。ヘッドを開いたり閉じたり、はたまたできもしないロブショットをしてでもカップに寄せようとする。
プロでもアマチュアでも、自分の欲望を制御できる人が勝つ!
◆初めてのコースは見えるところまで打つ。
見えないところには何があるかわからない。見えるところまでの距離を知って打つことです。


こうしてプレーを進めていけば大叩きはしない。
ショートカットすればセカンドショットが楽になるかも知れない。しかしショートカットできる自信もない“まぁ、いいか”という軽い気持ちで欲張ったショットを打ってしまっては、取り戻しがつかなくなり大叩きへと誘うのがゴルフなのだ。


ただの1回でも投げやりなショットはしない。
“まぁ、いいか”1回でも投げやりなショットをしたら、元に戻すことがとても難しいのがゴルフ。


決して投げやりにならず目の前の1打に執着する。
このことがどれだけそのゴルファーを上達させるか計り知れません。


目の前の一打に集中し、全力を尽くす1打を積み重ねることがゴルフの上達へもつながるのです。
 

◆半分はグリーンに乗せられながらも、スコアが80前後になってしまうハンディキャップ6~9というゴルファーは、アプローチショットにも、もうひとつ熟達していないことになる。


ハンディ0と6ないし9の差はショットの力の違いではなく、
寄せの技術の差であることを意味しているのだ。
ましてやハンディキャップ18の場合はその比ではないのである。


練習場を見ればわかります。ビギナーほど長いクラブを打っている。
上級者は短いクラブで自分のショットを探求しています。

◆ゴルフは「姿勢」を問われるゲームである。今のゴルフに対する「姿勢」は、少なくとも上達しようとする「姿勢」なのか?
自問自答してみる。


もっとも今に満足しているならば、自分の足りないところに気がつくはずもない。
その人は“まぁ、いいか”に取り囲まれてゴルフプレーをして、「ゴルフが楽しい、楽しい」と連呼している。ゴルフの奥深い楽しさをしらないままに・・・・・

 
◆自分は喫煙者だけれど、同じ喫煙者のあいつら(マナー違反者)とは違う。すくなくとも自分はエチケット違反はしていない。そう思っているのは本人だけ。

咥えタバコのまま“まぁ、いいか”と素振りをし、吸いかけのタバコをティインググラウンドの芝生に置いたまま“まぁ、いいか”という気持ちを誤魔化しながらティショットする。


咥えタバコも、芝生に置くタバコも“まぁ、いいか”に甘えているのだと思うのである。
ようするに“まぁ、いいか”の反復練習をしているのだ。


誤解なさらぬよう、わたしは決して喫煙者諸君を否定しているわけではない、ただ実際に何度もこういう光景を目にして、そう感じているだけなのだ。


もし「本当にゴルフが上手くなりたい」と思っているならば、そういう行為はせめてゴルフ場ないだけでも慎むであろうとわたしは思います。悪しからず。
 

ゴルファーの心構えはトイレの洗面台の水しぶきを拭き取るというようなことです。


洗面台は水しぶきで“濡れていても当たり前”と思うからかもしれないが、拭かなくても“まぁ、いいか”と思う。


そのままトイレを出てしまう。
拭かずにトイレを出るのと、次の人が気持ちよく使えるように拭いておくのとでは大きな違いだ。


わたしは拭くことが当たり前だとはいわない。
これはゴルフの上達にとても大切な要素が含まれています。


拭くという十分の一にこだわるのか、それとも十分の一をやり過ごすのかの違いはとても大きいのだ。


例えばクラブハウス内で人に会っても「まぁ、いいか」と挨拶をおろそかにする。
ついおろそかにする気持ちがゴルフの曲面に表れてしまう。


10分の一にこだわる行為は、ゴルフの上達に大きな意味を持っているのだと思います。ただし挨拶はおろか洗面台の水しぶきを見て何も感じなければそれはそれなのだが・・・・・

精神的な制約を自分で自分に課し、それに負けないようにする。あるいは制約が運動能力に影響しないように鍛錬する。


自分のゴルフを再点検するのであれば、最も難しい点に取り組むのが、新たなシーズンに目覚ましい成果をもたらす最短の道ではないか。
自分がいいショットを出せる確率を知らないことが、いかに上達を阻んでいるか、なのである。



◆結果だけを重視して、意図を問わない態度をとるかぎり、ゴルフの上達はとうてい望めない。

一人前の“ゴルファー”とは、かくあらねばならないとハリー・バートンが申しています。
「まず他人のプレーに干渉しないこと」
「自分に厳しいこと」
「よく練習すること」
「スコアの自慢をしないこと」


◆もし本当に上達しようと思うなら、“身もフタふたもなく”自分の実力を冷徹に認めた上で、対処していかなければならない。


見栄で大きなバッグに14本のクラブをいれたい人は、それでいい。あくまでも「もし本当に上達したいなら」という限定の上の話なのだ。


ハンディキャップが2桁のゴルファーならば、クラブはハーフセットにしたほうが結果がいいといっているわけだ。


なにしろクラブが足りないのだから、微妙な距離で迷う必要がない。小さいクラブで、ともかくターゲットの近くまで行けばいい達観して打つ。


それで十分なのだ。不思議なことに、こうして自分の力量通りのプレーをしているうちに、知らず知らず実力は向上していく。それがゴルフというものだ。
著:中部銀次郎+ki銀次郎

(><)
はじめにお断りしておくと、上記に記した事柄は中部銀次郎さんの本から引用し、わたし個人の見解もプラスしたものであります。


5年半で18万球の練習が多いか少ないかは別として、18万球の練習と幾多のラウンドを経験し、数多くのゴルフ関連書籍を熟読してきて、「ゴルフの上達に一番大切なものは何か」と常々疑問に思っていたのですが、今回答えを知るに至りました。


ごく普通に球を打つことができるレベルの人間が、あるいはハーフのスコアでいうなら38や39をときどき出せる人間が、たまに50の大台を打ってしまうのはなぜなのだろうか。
上達を阻んでいるのはいったい何なのかと深く深く考えに考えました。


もちろん練習ありきがベースの話になりますが、究極の答えは今回のこの文章が少なくともその手がかりではないかと思っております。(練習方法は別)


相当量の真剣な練習経験をおもちの方であれば、スコアでいうところの100と99、90と89、80と79の大きな違いは実感していると思います。


100を99にするのは容易だが、80を79にするのはとても難しい。そこの1打は計り知れない1打であることもご承知であろう。この1打の上昇に重要なのがここに掲載した内容ではないかと確信しているのであります。


ゴルフという競技のスコアを良くするためには、もちろん技術やコースマネジメントなど基本的な知識は最低限身につけなくてならないが、ここのところスコアが停滞し上達への手がかりもなく悩んでいるというそんな方は、この文章を自分にあてはめて定期点検をしてみるのはいかがしょうか。


こんなことが起爆剤となり、どなたかのゴルフの上達のお役に立てるのであれば、わたくしki銀次郎はこれ以上のない喜びでございます。


すべては「もし本当に上達したい」という前提のもと熟読し、実行を試みていただきたいものです。
必ずや何らかの答えを掴めることをお約束します。

ki銀次郎

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