2015年1月20日火曜日

しない生活(小池龍之介)

つながりすぎない、イライラしない
言い訳しない、せかさない、比べない


ときどきこういう文章を読んで、
自分をみつめなおす時間も必要かも?
ki銀次郎




~悪意のない愚かさに怒っても疲れるだけ~


怒りの沸点が低すぎて、他人の悪意のない失敗に対してまでいちいちイライラする人は、すぐにわき立って心乱れます。



このことはつまり、他人の欠点に対して、敏感になりすぎていることを意味しているでしょう。
欠点とは、「煩悩」を言い換えてみたものでありまして、私たちが怒るとき、通常は相手の強欲さ(欲望)、攻撃性(怒り)、愚かさや無能さ(無知迷妄)という煩悩を察知して腹を立てているのです。




ここで、愚かさという心のこんがらがりゆえに、結果としてうっかりしっぱいしてしまったり失敗をはたらいてしまったりした場合でも、その背後に強欲さや攻撃性の動機がなければ、「それなら仕方がないよね」とする態度が、よくあります。



それは、あくまでも心情における動機を重視して結果は責めない、ということで、「心情倫理」などとも呼ばれますね。



それに対して動機が悪いものでなくとも、とにかく結果として失敗したなら責められるべきだという姿勢は「責任倫理」と呼ばれるものに近づきます。
 ◆心情倫理と責任倫理
心情倫理とは、自らの行為の価値を純粋に信じて、その結果は神に委ねて省みない態度であり、責任倫理とは予測できる限りで自らの行為の結果を考慮し、その責任を引き受けなければならない、という態度である。




ここでどちらが正しいと述べるつもりはなく、単に責任倫理的に他人を裁く心は乱れやすく、苦しいだろう、と述べるにとどめましょう。



つまり、悪意はなく単に愚かさや無能さゆえに失敗してしまった我が子や部下に対し、怒りがわいてきて許せない気分になるなら、怒るきっかけがあまりにも多すぎて、心やすまるひまがない。



なにせ人間とは失敗する生き物なのですから。



筆者は幸か不幸か、昔からボーッとしたところがあり、ものを落としたりなくしたり、予定の日を間違えたりして怒られる側なのですが、「愚かさに怒っても疲れるだけ」と心得て許してもらいたいものです。(にっこり)
小池龍之介

(><)
「怒りの沸点が低すぎて、他人の悪意のない失敗に対してまでいちいちイライラする人は、すぐにわき立って心乱れます」
この文章を読んだとき「まさしく自分のことだ!」そう思いました。



先日、中学1年生の娘を大声で叱り飛ばしてしまいました。
私は父として当たり前のことをしたつもりです。



私に似て頑固な娘は、その後は一切言葉も交わさなくなってしまいました。
こちら側の心は疲れるものです。

ki銀次郎

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