2015年2月24日火曜日

男気の話


◆安藤優也、1億円の恩返し
阪神の安藤優也は法大時代、高橋由伸(当時慶大)に東京六大学野球新記録となる通算23本目の本塁打を打たれたことで有名だ。
大学時代は通算7勝。
それほど目立った選手ではなく、卒業後は地元の大分銀行に就職して軟式野球に転向する予定だった。



ところが、当時交際中だった現夫人に
「今辞めれば、23本目を打たれた投手、と言われ続ける」
とハッパをかけられ、進路を社会人野球の強豪・トヨタ自動車に変更。



そこから一気に頭角を現し、ついには2001年のドラフト自由獲得枠で阪神に指名されるまでに成長を遂げた。
契約金は推定1億円。安藤はその全額を、かつて内定を辞退しても気持ちよく送り出してくれた、大分銀行に預金することで恩返しした。



◆身銭を切って設置した「宮本フェンス」
2006年オフのヤクルト契約更改での出来事。
チームリーダー宮本慎也は、翌年の年俸1000万円アップを提示されると、そのお金で2軍が使用する戸田球場の外野フェンスを補修してほしい、と球団に提案した。



当時、プロ野球選手会の会長で、常日頃から現場環境の改善を訴えていた宮本。
それだけに「言葉だけでなくまさに身を削った行動」と話題になった。以降、戸田球場の外野フェンスは「宮本フェンス」と呼ばれている。



◆「強いチームに勝って優勝したい」
と残留したハマの番長。2008年オフ。
FA戦線の注目は、“ハマの番長”こと横浜・三浦大輔の去就だった。
横浜としてはチームの顔でもあった三浦の残留を本気で望んでいたが、阪神からは3年総額10億円という、横浜の提示より2億円も高いオファーが届いた。



阪神は、関西出身の三浦が子どもの頃からファンだったチーム。
万年最下位の横浜から優勝候補の阪神への移籍は間違いない…誰もがそう思っていたのに、三浦は横浜残留を決断。
そのまさかの選択に涙ぐむ球団職員もいたという。
「強いチームでプレーするよりも、強いチームに勝って優勝したい」。



それが三浦の決断の理由だった。
以降も横浜一筋を貫く三浦はこんな言葉も残している。
「違う球団ならもっと勝てたとかはない。俺は横浜の三浦だから」。



オトコ心を熱くするエピソードの数々。
今季、黒田がカープの優勝に貢献して、さらに男を上げることはできるのか? 開幕を心待ちにしたい。
R25編集部(オグマナオト)

(><)
男らしく生き抜く美学。ここの話はすべてお金が絡んでいます。
お金=生活費、なかなか真似できることではありません。



しかし、考え方は真似することはできると思います。
男である以上、いつまでもフェアな気持ちと男らしい気持ちをもち続けたいものです。

ki銀次郎

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