2013年2月18日に山田パター工房の山田透(57歳)に外務省から1本の電話が入りました。
「アメリカへ山田パターを贈りたい。先方のリクエストで」
という内容だった。
ご存知のとおり阿部総理大臣がオバマ大統領へプレゼントしたことで有名な話しです。
また、ライン・ギブソンと言う選手が55でプレーした時に使用していたことも有名です。
山田氏は山形県の山間部の生まれ、人と同じことをするのが大嫌い。小学校2年生のときに“ヨーイドン”でゴールと反対側に走った経験の持ち主。
大人になったら一人ひとり違う世界に進むのに、なぜ同じ勉強をする必要があるのだろうと疑問におもっていた。
高校1年か2年の全国統一試験の数学で100点満点が6人いたうちの一人だそうです。
高校卒業後はジャズプレーヤーをめざし、渋谷区代々木のルーツ音楽院に通い、ジャズを勉強するために渡米、アメリカでゴルフと出会う。
1年でシングルになり、ミニツアーにも参戦、プロゴルファーをめざそうと思ったが、ポパイのような外人の体格をみて断念した。
パター作りに興味をもち、ロスアンゼルスのゴルフショップでであったT・P・MILLSのパターに出会い、パターを作ることを決心した。
最高のパターを作るには、スウィング技術はもとより、その技術を伝える術も学びたいと、全日本ゴルフ練習場のレッスンプロの資格を取得した。
「パター作りは誰にも習っていない。苦労せずにできた。だから俺にとっては転職だと思っている」
こう言っています。
私はT・P・MILLSのパターを5本持っていますが、山田透さんの性格を知って、山田パターも1本欲しくなりました。
ki銀次郎
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