2015年7月3日金曜日

「ありがとうのゴルフ」古市忠夫

感謝の気持ちで強くなる
壁を破る

阪神淡路大震災で家も店も焼かれ

59歳でプロゴルファーになったカメラやのおっちゃん

◆はじめに

震災前、私は「努力の人」でした。積極的な心さえあれば、ゴルフも上手くなると信じていました。
一生懸命練習し、技を磨き、力をつけて、どうにかこうにかハンディキャップゼロと、クラブチャンピオン10回制覇という目標を達成することができました。


でも、努力で可能だったのは、そのレベルまでです。




私のような、単なるゴルフ好きのアマチュアが、努力だけで難関プロテストに合格したり、本や映画のモデルになったわけではありません。


震災後、考え方がかわりました。


「努力すること」だけではない。
大切なのは、
「努力ができることに感謝すること」だと。



友人が亡くなったあの瓦礫の街を思い出すと、今でも胸が痛みます。
そしてなぜ私だけがゴルフなどできているのかと、自責の念にかられたこともあります。




そしてラウンド前とラウンド後、自然とコースにありがとうの一礼ができるようになりました。


コース整備の係の方々、キャディさん、一緒にまわる仲間たち、嫁はんや娘たち・・・・・自分のゴルフを支えてくれているすべての人々へ、心から感謝できるようになったのです。



みなさん、ゴルフは技や力や道具がすべてと思っていませんか。



私はゴルフに最も大切なのは「心」だと思えるようになりました。



たとえば、プロテストの最終予選、若者たちは、一打一打、まるで人生のすべてをかけているかのように緊張して、なかなかパットを打てずにいた受験生もいました。


プロになるのは自分の努力次第と過信していると、いざというとき、能力が出し切れないのです。
自信は慢心につながり、いつのまにか心を弱くしてしまいます。


私は、自分の努力など、たかが知れていると思えるようになりました。
いくら頑張っても若者より遠くへ飛ばせるようになるわけではありません。
プロテストでも「受かろう」とか、「なにがなんでもプロになる」など、そんなことは少しも思いませんでした。


「ただ、ゴルフができるだけでしあわせもんや。受かる、受からんやなく、すべてに感謝して存分にさせてもらおうやないか」、それだけを思ってプレーさせてもらいました。


若者たちとの勝負を、心底楽しませてもらったのです。
その結果、普段どおりのプレーができ、全力を尽くせたのです。


なぜ、私が大勢の若者たちに勝ってプロになる奇跡が起こせたのか。それは、
「積極的な心に、感謝の心が加わり、真の“勇気”となったからではないでしょうか」



若さや、飛距離や、技術や体力に勝るもの。
それこそ「ありがとうの心」なのです。



みなさんに提言したいことがあります。
泣き言はいっさい吐かないこと。
歳だから飛ばなくなった、体がいうこときかなくなった、スライスが治らない。


ゴルフができる現状に「ありがとう」という気持ちになれば、そんなこと、ちっぽけに感じるはずです。


たとえばダボを叩いても、自分自身の心に打ち克って、笑ってみるのです。
「これも自分が大好きなゴルフなんや、苦しいときこそ、奥歯を噛みしめて笑うんや」と。


私もときには自分のミスにカッとなることもあります。
しかし、怒りや嘆き、不安や絶望は、いい結果につながらないばかりか、ゴルフそのものを辛く苦しいものにしてしまいます。




楽しくないゴルフをするために、私たちは生かしてもらっているのではありません。


それを思い出せば、少々のミスは許して、次の一打に集中できます。
そうゴルフは、人生と似ています。


「ありがとうのゴルフ」
「ありがとうの人生」
さあ、早速今日から、ラウンド前とラウンド後に「ありがとう」の気持ちでコースに一礼、始めてみませんか。
プロゴルファー 古市忠夫



(><)
人間は毎日、今を当たり前のように生きています。
ゴルフ練習場では、ボールを足やクラブで乱暴に扱って打っている人がほとんどだ。
ミスショットすると腹を立てている人を大勢見かけます。


練習場の係の人が、雨の日でも毎朝フィールドから球を拾い集め、そして洗って、乾かして、ボール販売機から出てきた球を、私たちは打つ。たったの10円で・・・・・


この1球10円のボールを私は足で扱うことなどできない。


「ダボを叩いても、自分自身の心に打ち克って笑う」
「ミスショットしても、自分自身の心に打ち克って笑う」
腹を立てるということは、自分自身の心に負けているということなんですね。


虚栄をなくし、すべての物に感謝の念を抱く。
ゴルフも人生も大切なのはここなんですね。
ki銀次郎

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